太秦からの映画便り

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映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(後編)

映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(後編)
   ―秘すれば花、死すれば蝶―

<昨日の続き>
―そのようにアバンギャルドな世界を作るようになられたのは何時ごろからですか?
木村:40歳くらいから、誰が何を考えているか、自分のことをどう思っているのか、神のごとく耳に聞こえてくるようになった。道を歩いていてもふっと振り返ると、何年も前の知り合いに出会うとか、予言のような物が聞こえたりとか、1年位そういう狂信的な凄い事が続いたんだ。それからだね。今でも幻のようなものが耳元で呟くんだよ。つまり僕にはそういう習性があって、シナリオを書いていても映像が浮かんでくる。僕が映画を作るのは、その映像世界を表現したい訳だから、セリフがいらないんだ。言葉を羅列した俗悪たる日常茶飯事の事には興味がないし、そこから飛躍した世界を作りたいんだね。映画は形態としては見せるものだけれど、本質としては藝術的なもの。藝術は創作するもんだから、ある状況を自分の世界に作っていくのが藝術でしょう? 単純にそれを目指せば良いんで、藝術だったら人が入るかどうかを考えるのはおかしい。この頃絵が売れないとぼやく画家がいるから、人に買ってもらおうと思うから、絵に品がなくなって売れないんだ。僕のように人に見てもらおうとか思わないで、自分の思うようにやればいい。そうしたら見にきてくれるし売れるよ、と言ってやったよ。迎合がいけないんだよね。

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(C)PROJECT LAMU / UZUMASA

―そのような精神は何時ごろ芽生えたのでしょう?
木村:少年時代に見た「カリガリはかせ」の影響が大きい。小学生の頃名画座で観た、京都の下加茂で作られた、衣笠監督の「十字路」という実験的なサイレント映画も尾を引いているね。これには阪東寿之助が出ているんだ。ダリの絵を見た時はこれだと思った。子供は直観力を持っている。自分にとって大事な本質的なものを見極められるんだ。年を取って外見が衰えても、頭の中で革新的なことを考えていればそれは青年だよ。今の世の中その逆で、当たり前の決まりきった事しか思わない、若いくせに老人のような人が多くなっているでしょう。
―この作品は老いていく事、生と死もテーマになっていますが、先生ご自身はそれについてどう思われますか?
木村:家の入り口に松の大木があるんだ。家に帰るとその幹に手を当てて、木と対話する。松の気持ちが解るんだよ。植物にも命がある。先人達はそれを祭り供養してきた。自然の中の命、自分の命との一体化、そんな事に敏感になってきたね。
―一番楽しかったのは何処ですか? 豪華なキャストですが、ぜひ出て欲しかった方は?
木村:アメリカの国旗が落ちる所だね。あれはこの映画の瘤なんだ。そんな具合に、何気なさそうでもよく見ると重要な意味を含んでいるシーンが一杯ある。色々なメッセージを盛り込んでいるんで、1回で全部解るのは無理かもしれない。2,3回観たら始めて解る子とがあると思うよ。キャストはちょっと捻っているけど、キャスティング担当が提案してくれたり交渉をしてくれた。ぜひ出て欲しかったのは野呂圭介さんだね。あの人が好きなんだ。

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(C)PROJECT LAMU / UZUMASA

―美術監督から映画そのものを監督する側に来られましたが、如何ですか?お話を伺ってもどんどんイメージが湧いてこられるようですが。
木村:映画監督は麻薬のようなもんだね。そりゃあ楽しいよ。今更止めれないと言うか、後に引けない。イメージは次々と湧いてくる。今一番興味があるのは、頭の中にあるけれど、映像化が不可能に思える事を、どう映像化していくかだね。僕は既成の道を辿るより、初めての道、誰も手をつけない所に手を入れて行きたいんだよね。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <物語は夢と現をさ迷う>魂の混沌を映したよう。死を恐れながら、生の隣の死を想像し、その境目を橋を渡るように曖昧に考えてもいる風情です。生と死の世界が繋がっている事、行き来できる事、死後の世界から現世を見ること、まさに狂言の世界ですね。サブタイトルの「秘すれば花」は、能楽師・世阿弥の言葉なのだそうです。
 <エキストラの学生達が>スクリーンの中で誇らしげな笑顔を見せているのが印象的です。映画界の誰もがひれ伏すような大御所の作品に関われた好運を、彼ら全てが解っているかどうかは解らないけれど、映画を作る楽しさをこの現場でしっかり体感したことだけは伝わってきました。

 <私は木村先生の映画美術が大好き> 心のままに空間を歪める手法というか、繊細で大胆な、精巧な写実と飛躍を力技で結びつける手法の熱烈なファンなので、監督作だけでなく先生が美術を担当した作品は見逃しません。最近のものでは、黒木和夫監督の遺作となった「紙屋悦子の青春」の、紙屋家のセットの周りをバサッと切って、わざと作り物めいた桜の木を立て、ここだけを異空間に仕立てた手法、あるいは桃井かおり監督の「無花果の顔」で、隣のアパートとの窓の距離や、縁側と無花果の木までの距離を、心理状態に合わせて自在に伸ばしたり縮めたりした手法を思い出します。普通を装った何気ない美術に潜めるアバンギャルドさこそが先生の真骨頂。そんな所をこの作品に絡めて伺いました。始めてお話になったこともあるそうです。


この作品は、1月9日から第七芸術劇場で上映、
      順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
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