太秦からの映画便り

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映写室 新NO.40フローズン・リバー

映写室 新NO.40フローズン・リバー
  ―凍った川を渡って国境を越える―

 <暖冬に泣くバンクーバーに対して>、北米大陸でも東部の方は例年にない寒波に見舞われている。この作品の舞台、カナダとアメリカの国境辺りの湖も川も、ぶ厚い氷で覆われているはずだ。極寒の暮らしは厳しい。貧しければなおさらだ。皆が貧しいよりも、繁栄の隣で一人貧乏くじを引いたような困窮はことさら辛い。
 <この物語はそんな人々の暮らしを>ドキュメンタリータッチで描く。白人とインディアンというシングルマザー2人を主人公に、大国アメリカの陰を描いて、極限で生きる人々の母性に寄り添う作品です。北米事情がさりげなく織り込まれ、今回も映画が生きた社会科の授業になった。

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 <カナダと国境を接するニューヨーク州最北部の町で>、1ドルショップで働き15歳と5歳の息子を育てる白人女性のレイ。新しいトレーラーハウスの為に貯めたお金を、ギャンブル狂の夫が持って逃げる。夫の車を見つけるが、運転していたのはモホーク族の女性ライラだった。バス停にキーをつけたまま捨ててあったと言う。ライラにも子供がいてお金を貯めて引き取るのが夢だ。
 <最初はいがみ合っていた2人だけれど>、お互いに抜き差しならない状況だと解かると、一緒に不法な仕事を始める。それは、治外法権になっている町外れのモホーク族の保留地を通り、検問所のない凍った川の上を車で走り、カナダとアメリカの国境を越えてアジアの移民を密入国させる仕事だった。高報酬でも死や逮捕という危険と隣りあわせだ。

 <水が低いほうに流れるように>少しでも経済力のあるほうに人は流れていく。同じようなことが今北朝鮮と中国の国境でも起こっているだろうと、この作品を観ながらアジアの悲劇を思い出した。こちらは朝鮮族で、2つの国の間に国籍の曖昧な民族が住んでいるのも一緒だ。
 
 <冒頭から、この作品は荒んだ貧しさが支配する> アメリカと言う大国のこの貧しさに驚いた。まず主人公のレイ。ボロボロのトレーラーに住んで、痩身でばさばさの髪、節くれだった手、皺の深い荒れた肌と、日本に来る旅行者にはいない、ある種の階層の白人の貧しさを体現している。若い頃は荒んでもいたのだろう、体のあちこちに残るタトゥと赤いマニキュア、疲れた表情で手放さないタバコ。メリッサ・レオの疲れ切った表情がリアルで、ジーンをこんなに貧しそうにはく女優を始めて見た。

 <現状を映すだけで説明はないが、レイの貧しさには>マイケル・ムーアが「キャピタリズム~マネーは踊る~」で訴える、レーガン大統領以降の行き過ぎたアメリカ資本主義の影響が見て取れる。彼女の雇用も不安定だし、多分失踪した夫も正規の仕事にあぶれた口。荒れてギャンブルに逃げ、近くの保留地のカジノに通って、依存症になり生活を破綻させたんだと想像出来る。
 <レーガン時代に、州都の中では禁止されている>カジノを、補助金や援助を打ち切る代わりに許された保留地が沢山あるという。それしか生きる方法がない保留地はいきおい力を入れて、ラスベガスのようにそこに行ける富裕層からお金を巻き上げるのならともかく、弱者同士の争いというか、マイノリティが白人の貧しい層からお金を吸い上げるようになったのだ。

 <差別に苦しむモホーク族>の窮状も見える。白人だと検問で止められることはないし、レイは警官にライラをベビーシッターだと紹介するが、貧しい住まいを見ても彼はそれを疑う事もないのだ。こんな仕打ちを受けたら、何をやってでもお金を巻き上げたくなるじゃあないか。終盤、今度は白人のレイが、保留地の中で弱者になって震える様が映るが、自由の国アメリカの隠された人種問題は根深い。

 <そんな、本来交じり合わないはずの2人>を結びつけたのは、貧しさ以上に母性だった。お互いが相手の中の母としての思いの深さに、自分の分身を見るのだ。それも身の程をわきまえない過剰な母性。だからこそ危険な仕事をし、生と死の境を飛び越えるような奇跡も呼び、衝撃的な結末に辿り着くのだけれど、全ては、いわば母親同士の連帯だと思う。母性とは盲目的なもの、以前紹介した「ワカラナイ」の父性との違いが甚だしい。

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 <無力なくせにレイは>子供を守ろうとする。「ちゃんと食事したの?」と言いながらテーブルにあるのはコーラとポップコーン、レンタルテレビの代金も払えず取り上げられそうになるし、なけなしのコインを数え、子供2人の昼食代を工面して渡す有様。でも、子供を邪魔にはしない。逆に言えば、この貧しさの中でレイを支えているのは、自分の母性だけだった。子供より誰より、自身にとっての生きる力が母性なのだ。
 <ライラにしても>、こんな状態では義母の家で不自由なく暮した方が子供の為だとも思うけれど、子供と暮らしたいという母性だけが生きる力になっている。表情に乏しく投げやりにも見えるミスティ・アップハムの瞳は、自分で納得しない限り何を言っても動かない風情。レイに感情移入して苛立ちながらも、迫害の歴史が身につけさせたものだろうかとも思う。決して知的ではない2人だけれど、それでも社会との折り合いはレイのほうがリードしていくしかないと納得させられる。

 <力のない母親が空元気を出す様は>子供には辛い。でもそんな環境は子供を育てもする。母の困窮を近くで見る長男は、子供の自分が歯がゆい。学校を辞めて働くと言っても勉強しろと怒る母。表にあるメリーゴーランドを弟の為に治すのが彼に出来る精一杯の事だ。母性を頼りに暴走する親の横で、彼は誰よりも速く大人になっていくのだろう。負の連鎖が続きそうな環境で、子供と大人の狭間の彼の健全さが救いだった。

 <脚本と監督はこれが初長編となる>女流のコートニー・ハント。色調と言い、空気感といいアメリカ映画らしからぬ重さだけれど、これこそが今のアメリカの現実。社会から見逃された人々に目をむけ、彼らの物語を語ることが自分の仕事だと定めているのだ。
 <ラスト、自分しか信じられず人に委ねる事の出来なかったレイ>が、母性を超えて、ある種父性のような領域の決断をする。ライラも又、他人から頼られるのは始めての事。カナダとアメリカの警察を相手に、割れそうな氷の隙間を通ってのカーチェイス、得体の知れない密入国ブローカーとやりあいと言う、冬の間のアドベンチャーが、貧しさがもたらすあらゆるトラブルを一人で抱え、凝り固まっていた2人の視野を広げたのだ。女2人が暴走する怒涛の展開、ハントの提言をたぐりながら観て欲しい。

 <時代のせいか>、豪華なハリウッド映画が空々しい。布施さんが言うように、両手にあまる幸せより、小さな幸せが大切に思える今日この頃だ。作品の多面性と共に、そんな世界観が世界各地の映画祭で絶賛されています。(犬塚芳美)

この作品は、2月27日からシネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、
      3月6日から京都シネマ にて公開
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| | 2012年07月27日(Fri)14:28 [EDIT]


 

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http://worldnavigation.biz/ | 2010年03月02日(Tue) 09:38


 
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