太秦からの映画便り

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映写室 木村威夫先生の思い出

映写室 木村威夫先生の思い出 
  ―心の距離感のままに空間を歪める手法―

 <3月21日に、映画界の重鎮>、木村威夫先生がお亡くなりになった。先生は「海と毒薬」や「ツィゴイネルワイゼン」等200本以上の作品を手がけた映画美術監督で、ここでも取上げているけれど、最近はご自身で監督した作品もある。確か「夢のまにまに」で、世界最高齢の長編映画新人監督として、ギネス記録にもなったはずだ。去年12月の半ばに、新作のキャンペーンでお会いし、1時間近くも貴重なお話を伺ったばかりなので、何だか信じられない。超人的なパワーで何処までも生き続ける方の様な気がしていたのだ。
<その日は>、終わったその足で新幹線に飛び乗り、夜は東京で忘年会だと言うことだった。キネマ旬報の元編集長が一緒で、「僕らよりお元気ですよ」と、隣で舌を舞いてらしたのを思い出す。最後まで現役で走り続けて、そのままあの世まで突き抜けていかれたようだ。作られる映画のように、前衛そのものの人生だなあと、お人柄を偲んでいる。

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(2009年12月14日 大阪にて)

<訃報に驚いたけれど>、一方では91歳というお年でもあり、根をつめると、後で体調を壊される事が多くなっていたので、(とうとう来たか)という思いもあった。「夢のまにまに」も「黄金花 秘すれば花、死すれば蝶」も老境の不思議な体験を、先生独特のアバンギャルドな手法で表現されていたと思う。

<初めてお話したのは>、故佐藤真監督に招かれた京都造形芸大のスタジオ開きの日だった。恐れ多いのだけれど、お隣にいらっしゃったので、凄く好きな「紙屋悦子の青春」と「無花果の顔」のセットについて、感動をお伝えしたのだ。画面では解からない色々細かい手法まで教えて下さり、感動しきり。周りの学生達を眺めながら「若い人と一緒に作るのは楽しいんだよ」とも仰っていた。その学生達は自然に接していて、特に長老の方だと労わる事もせず、私が休んでいただこうと椅子など運んだのも思い出だ。そのままスタジオの隅で居眠りを始められたけれど、今思い出すと、あの時は去年の12月よりずっと恰幅がよかった。

<その後も手紙を差し上げると必ずお返事くださるし>、お忙しいのに良くして頂く。ある時、「何だか先生に、特別に良くして頂いている気がする」とお伝えすると、お嬢さんが私と同じ姓のお家に嫁がれ、少し前に亡くなられたので、「貴女に娘を重ね親しみを感じた所もあるかもしれません」とお返事をいただいた。
 <そんなこともあって12月のインタビューは>、ちょっと失礼なような厚かましいことも伺っている。「得しちゃっただろう、こんなこと初めて話したよ」と仰って、周りで聞いていたスタッフの方も身を乗り出していた。読み返すと木村先生のあの時の口調が甦ってくる。
生涯を本当の創作に捧げた映画人、木村威夫先生のご冥福をお祈りいたします。(犬塚芳美)

 参照  映写室 インタビュー記事:2010年1月7日、8日アップ分
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