太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

現実の再現ドラマ

映写室 「胡同の理髪師」上映案内     
 ―主人公に触発されて作った劇映画―
 映像も物語も息を呑むほどに端正な作品が届いた。舞台は北京オリンピックを前に開発でどんどん姿を消している、紫禁城の周りの胡同。自分そのままの主人公を演じるチンさんは、今93歳。胡同もそこに描かれる生き方も、時を潜り抜けたものだけが持つ美しさ。両方共に壊れる前の今だからこそ撮れたものだ。次の世代に残したい遺産のような作品です。

futon-main.jpg

 <主人公のチンさんは一人暮らし>で、もう80年も理髪師をしている。午前中は三輪車を走らせて昔馴染みの家まで散髪に出かけ、午後は頭の体操だと友人たちとマージャンを楽しむ。客は皆老人だから、時には孤独死を発見することもある。離れて暮らす息子は来るとお金の愚痴ばかり。この胡同ももうすぐ取り壊しだ。でも実際に壊す頃には、「自分は焼き場の煙だから」とチンさんは意に介さない。

 <監督が2002年にテレビのドキュメンタリーで>チンさんを見た時から、もうこの映画の構想が始まっていたようだ。チンさんの面立ちに魅せられてその映画を撮りたくなり、チンさんの為に脚本を書いて、出演してもらおうと胡同中を探し回ったと言う。それ以外の出演者も、俳優ではなく本物の彼の客や素人が扮している。
 本人の日常を元にしたこの映画は、ドキュメンタリーではないけれど、極めてそれに近い、ドキュメンタリータッチの、いわば現実の再現ドラマと言う新しい手法だ。だからなのか、ここに漂っているのは紛れもない胡同の空気。古い町並みに溶け込む、庶民の暮らしや息遣いが映像から匂い立ってくる。それが日本の私にも何故か懐かしく、チンさんに遠い日のお婆ちゃんやお爺ちゃんを思い出した。人に頼るのが嫌いで、自分の出来る事を淡々とし続けた人の清々しさが心地いい。

futon-1.jpg

 <飄々として油っけの抜けたチンさんは>、生き方も欲望も面影も、全ての余計なものをそぎ落とした存在。仕事柄身についた習性か、身だしなみと言えば白髪に櫛を入れて身奇麗を心がけることで、姿勢や面立ちに、揺るぎのない人生の骨格が見える。
 それがカメラマンを触発するのか、この作品はシアンに振った映像が本当に美しい。特に思い切りのいいアップでの造形の妙は圧巻だ。チンさんの手元や鋏、剃刀と仕事中の姿が完璧な構図を作り、溜息が出る。光といい影といい写真集のようだ。切り取ったのはカメラマンでも、カメラマンを触発したチンさんの実力と言うものだろう。

 <終盤チンさんが唐突に自転車を降りて>道端で目を閉じるシーンがある。後で目覚めたけれど、私は監督の策略に嵌ってドキッとした。いくら元気とはいえもう90歳を超えている。古くからの顧客は次々と死に、とうとう一日に5分遅れる古い時計も壊れた。いざと言う時の写真を準備したように、チンさんにとって死は身近なのだ。その時までを悠々と過ごす姿に老いの境地の素晴らしさが見える。
 出来ることなら眠るように静かな死がこの老人に訪れますように。その日まで白髪に櫛を入れ自転車に乗る彼が見れますように、黒猫が私たちの代わりに看取ってくれますようにと、祈らずにはいられない。

 <私は北京が何処よりも好きだ> 特に胡同は独特の雰囲気に魅せられ、何時までも忘れられない。胡同には生の続きの死が静かに漂っていそうな気がする。生きる事は死までの時間を送る事、どちらもが自然の摂理なのだ。歴史とはそんな人の営みを飲み込み続けた町が漂わす物。この作品の舞台は北京だけれど、何処かの町でも漂い続ける歴史、悠久の時の美しさを写した作品だと思う。


 関西では3月8日(土)より、第七芸術劇場にてロードショー
               シネマート心斎橋にてモーニングショー
               シネ・リーブル神戸にてモーニングショー
       3/29(土)より京都シネマにてロードショー
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。