太秦からの映画便り

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映写室 新NO.48月に囚(とら)われた男

映写室 新NO.48月に囚(とら)われた男 
  ―月に1人で3年間赴任する―

 <スペースシャトルに乗って>宇宙に飛び立った山崎直子さんの動向が、連日報道された。宇宙ステーション「きぼう」との合体、アームを使った船外の仕事、ぽっかりと浮かぶ青い地球と、届く映像は映画以上にSFティック。神秘に魅せられて、未来の宇宙飛行士を夢見た子供たちも多いと思う。そんな今、タイムリーにこんなSFサスペンスが登場した。と言っても、こちらはイギリス映画らしくちょっとブラック。月の裏側で、たった一人で残酷な運命をたどる男の物語だ。
 <センセーショナルな監督デビューを飾ったのは>、デヴィッド・ボウイの息子(!!)の、ダンカン・ジョーンズ。斬新なアイデアと技術で、イギリスの新人監督賞を独占する。この親子やっぱり只者じゃあない、遺伝子からして違うと、父親の偉業を思い出す人も多いと思う。少し背筋をヒヤッとさせる、21世紀ならではの作品です。

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 <宇宙飛行士のサムは>、世界最大の燃料会社に勤務する。一人ぼっちで、知的ロボットのガーディと一緒に月の裏側に住む。ヘリウム3を採掘して地球に送るのが仕事だ。任期は3年、後2週間で地球に帰れる。唯一の楽しみだった家族とのTV電話が交信不能となり、里心は募るばかり。この頃幻覚や頭痛も酷い。とうとう外で作業中に事故を起こし、気が付くと基地の中の診察台だった。だが、様子がおかしい。自分と同じ顔形の男がいるのだ。本物はどっちなのか? …と訳の解からないまま、観客は哀れなサムの混沌に巻き込まれることになる。

 <かって、今以上に>、宇宙に夢を馳せた時代がある。人類が始めて月面を歩いた1969年の頃だ。21世紀には資源の枯渇した地球を捨て、月に住むようになるかもと言われたけれど、なぜか1972年を最後に人類は月から遠ざかっている。あの狂騒は何だったのか、どうして月から遠ざかったのか? 素人がそう思うのも当然で、だから時々、あの月面歩行映像は嘘だったとかの、まことしやかな話まで囁かれる。まるで、あの当時の月への狂想自体がSFのようにも思う。夜空に浮かぶ月を毎日のように眺めながら、考えてみると月について何も知らない。こちらに顔を晒すことの無い裏側にいたっては、勝手な想像しかないのだ。

 <そんな具合に>、私たちの宇宙は月で始まり、月で止まっている。本当言って、私の場合、宇宙ステーションも船外作業も、「アポロ計画」で受けた衝撃に比べるとどうって事はない。あの頃のほうが宇宙に近かった。6分の一の重力の月面をゆっくりジャンプするように歩いたあの映像の神秘、未来へ誘った精神、この作品はそこに連れ戻してくれる。
 <こんな映画を見ると思うのだ> 万博会場を飾った「月の石」、もしかしたらあの中には、私たちが夢見たような、もの凄い鉱物が含まれていたのかもしれない。表向きの月面探検は止めたけれど、近い未来にこんな事が起こるような研究が、ひそかに続けられているのかもしれない。…なんてダンカン・ジョーンズを真似てサスペンスしてみた。

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 <どうしてあれほど月面歩行が衝撃だったのか> それは、今の宇宙計画が科学の進歩を見せるだけなのに、「アポロ計画」の頃は、本気で地球以外の星で暮らすことを探っていたからだと思う。地球外生物との遭遇も目指して(?)いたかもしれない。この作品に地球外生物は出てこない。その代わりに、地球を遠くはなれて暮らす一人の男の人間性をじっくりと描いている。宇宙に行っても人は人だ。しかも夢で始まった宇宙への旅も、残ったのは、人類の野望と暴走、資本主義の冷酷さだけ。それらに翻弄される男の、怒り、絶望、孤独の深さは当然のこと。舞台は月だけれど、ものすごく内的な物語になっている。

 <この作品の素晴らしさは>、宇宙への夢と資本主義社会の闇の両方を見据えた、ストーリーの面白さや発想の奇想天外さだろう。主人公の戸惑いにまるでロボットのガーディのように寄り添い、真相を探るのが醍醐味だ。だから詳しくは書けない。未来の話だけれど、なんだか手の届きそうな、想像できる範囲のリアルさがおぞましい、…とだけ書いておこう。
 <主人公のサムを演じるのはサム・ロックウェル> ほとんど一人芝居のような活躍で、とぼけたような顔、鬱積した思い、疑心難儀の表情、放心状態と八面六臂。実は合成画面で一人3役をやり、人の持つほとんどの感情を体現し分け、演技派の実力を見せ付ける。誰に感情移入すれば良いのか、おろおろとした。ロボットだけれど、心を見せるガーディの声音も良い。サムの味方はサムとガーディだけ。何とも切ない。

 <ところで、デヴィッド・ボウイは>、「地球に落ちてきた男」に主演して、この作品と真逆の、宇宙からたった一人で地球にやってきた男の苦悩を演じた。全盛期のデヴィッド・ボウイは確かに宇宙人。地球人には見えなかった。ダンカン・ジョーンズはそんな父に育てられ、色々な方面で大きな影響を受けたのだと言う。つまりこれは、2世代で完成したSFサスペンスなのだ。

 <未来映画なのに何処かノスタルジックなのは>、SFマニアの監督が、いたるところに古いSF映画からの影響の痕跡を残しているから。ロボットのガーディ、月面車等、どこかで見た感じがする。それにSF作品とはいっても、そこはイギリス映画。CGには頼り切らず実写映像との組み合わせが多いのも、そう思わせる一因だ。未来というよりは、時々月の時代に(?)に連れ戻される。
 <そうは言っても、内容的には近未来感がいっぱいで>、なんとも不思議な、時代不詳の作品だ。もしかすると今だって現実に起こっているかもと思わせる、リアリティもある。こんな発想が湧く、ダンカン・ジョーンズこそが宇宙人。日本でも芸能界の2世監督が増えてきたが、世界でも同じこと。とびっきりの感性を持つ両親の影響を、全身に浴びて育った人の才能を堪能したい。(犬塚芳美)

 この作品は、4月24(土)より梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、
               シネ・リーブル神戸等で上映
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コメント


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宇宙の話というよりは

クローンの話ですね、これは。
実に不思議な映画でした。
3年ごとにクローンが入れ替わって採掘を続ける。3年たつと古いクローンは事故にあったりして捨てられるのか。

素浪人 | URL | 2010年04月30日(Fri)23:14 [EDIT]


Re: 宇宙の話というよりは

> 実に不思議な映画でした。

さすがにデビット・ボーイの息子でしょう?
凄く面白い(?不気味な?)物語ですよね。夢物語だけれど、変にリアリティがあって。
アポロ計画はどうして終わったのでしょうか?表向き以外に、画された大きな理由があるのでは?

犬塚 | URL | 2010年05月01日(Sat)08:49 [EDIT]


 

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