太秦からの映画便り

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映写室 「密約」千野皓司監督インタビュー(前編)

映写室 「密約」千野皓司監督インタビュー(前編) 
   ―主人公は、沖縄返還協定に絡む日米の「密約」を暴いた毎日新聞記者―

 <4月9日、東京地裁が歴史的な判決>を出した。沖縄返還協定に絡む日米の「密約」を認めたのだ。25人の原告団の中、密約を暴く発端となった記事を書いた、元毎日新聞記者、西山太吉氏や、この事件を元にノンフィクション「密約 外務省機密漏洩事件」を書いて、作家として世に出ることになった澤地久枝さんの、喜びや怒りの会見をご覧になった方も多いと思う。実際の書類は見つかっておらず、立場上相当上位のものが関与して、破棄したと疑われている。まだまだ真相の全ては解からないが、民主党政権になって、外務省の機密文書の開示が増えてきた。
 <そんな追い風も>あるのだろう。澤地さんの本を元に、テレビ朝日の開局20周年記念の特別番組として作られた本作が、30年以上経って初めて劇場公開になる。タイムリーな公開に、「感無量です」とおっしゃる千野皓司監督。この作品に込める思いや撮影秘話等を伺います。

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(4月2日大阪にて)

《その前に「密約」とはこんな映画》:それぞれの視点の三部構成になっている。
第一部:東日新聞記者、石山太一の視点で。
第二部:外務省秘書官、筈見絹子の視点で。
第三部:後にこの事件のノンフィクションを書く、作家、澤井久代の視点で。


 <1972年、東京地裁では>被告席に立つ男女に、検事が「被告人石山太一は被告人筈見絹子とひそかに情を通じ…」と起訴状を読み上げている。
 <その前年、沖縄返還に関して>、日本は基地の旧地主等、個人に対する損害補償をアメリカに請求していた。しかしアメリカは、沖縄返還に際して国民の税金を一切使わないと議会で約束している。交渉は行き詰るが、日本政府は時の総理大臣の引退花道として交渉を進めたがっていた。考えられたのが、日本政府が請求権を肩代わりすると言うものだ。
 <そんな噂を聞きつけた毎日新聞の石山は>、確実な情報を得るため、外務省にキャップとして送り込まれる。目をつけたのが、女性事務官の筈見だ。彼女と情を交わし、極秘電信文を見せて欲しいと頼む。だが、筈見の持ち出したそれが野党の手に渡り、国会での追及に使われたことから、出所がばれて…。
 <石山と筈見を裁く法廷を、一人の女性が傍聴している> 駆け出しのノンフィクション作家、澤井久代だった。彼女は苛立っている。国が国民を騙したと言う大きな問題が、記者と情報提供者が、情を交わしたという問題にすり替えられて、それに踊らされる大衆…。
 

《千野皓司監督インタビュー》
―監督は日活の「喜劇、東京の田舎っぺ」で監督デビューですよね。
千野皓司監督(以下敬称略):ええ。東京ぼんたが人気絶頂の頃の作品ですよ。会社の命令でしょうがなく撮ったものです。元々はドタバタ喜劇なのに、ドタバタが嫌いで複雑な話にしたんだけれど、お客が入って続きを撮ることになりました。彼は漫才家で俳優ではないから、演技が出来ない。指導は手取り足取りでしたね。かなりシリアスなものもあって、3本目は十三の駅の裏側で撮影しました。コメディーなのに、ゲリラ的な詐欺師のその日暮を撮りたくて、釜ケ崎で1年近くロケしたものもあります。まあそんなだから、しょっちゅう会社とは対立していました。
―反骨精神のせいで随分苦労されたと?
千野:ええ、そうです。それに時代も悪かった。この頃から、邦画が急速に駄目になる。日活は生き残りをかけてロマンポルノに行くんです。仕方なくピンクを撮った人も多いけど、僕は嫌だからテレビに行った。と言うのも、僕は東京は新橋の花街育ちで、実家がそこで呉服屋と言うか、帯止めやら半襟やらを売ってたんですよ。小学校の友達は芸者の子とか色々で、ませている。誘われて、いかがわしい場所の覗きをやったりした。つまり僕には悪ガキ時代があるんですよ。だからなのか、逆に映画でピンクはやりたくないんです。

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―ええ。
千野:で、日活を追われ、テレビに行ったんだけど、撮るだけでなく脚本も書きました。ホテルに閉じ込められて、原稿が1枚書き上がると、待ってた人が持って行くとかね。忙しかった。映画の人は構成が上手い。テレビの人は台詞が上手いんです。この頃に両方から鍛えられました。でもいくらテレビを撮っても、映画評論家は馬鹿にして評価してくれない。悔しい思いをしましたねえ。そんな鬱々とした思いがあって、何かやりたいと言ってたら、時代的にノンフィクションが出てきた。吉展ちゃん誘拐事件とかのね。企画書を出したら、当時のプロデューサーが1本ではもったいないと言い出し、「真相」というくくりでシリーズ化することになって、数本企画を出した。で、政治的テーマだから一番難しいと思ったのに「密約」の撮影が最初に決まったんです。テレビ朝日の20周年記念番組でした。
―大作ですね。評判は?
千野:よかったですよ。ただ、情事の描き方が淡白だと言われましたが、それは意図的だった。原作を読んだ時、ポルノ物にはしたくないなあと思ったんです。しかもスポンサー筋が、受けが良いかもしれないが、情事物にはしないでくれ、政治物にしろと言ってくれた。で、硬派のこんな形になりました。しかもお金がかかるのに、35ミリで撮らしてくれたんですねえ。それもあって、今までどんな良いものを撮っても評価してくれなかった評論家たちが、これは評価してくれました。あの時35ミリで撮らしてくれたのはありがたかったなあと、今しみじみ思います。こうして今回劇場にもかけられるんですから。

―撮影はいかがでしたか?
千野:撮影は黒澤作品も撮っている、斉藤孝雄さんという有名なカメラマンなんですが、予算がなくて、カメラマンがライティングも何も全部一人でやるから大変でした。走り回ってましたねえ。それに「密約」を撮ると新聞発表したとたん、公共施設の撮影は全てシャットアウト。表のシーンは隠し撮りが多いんです。苦労しました。舞台になる毎日新聞社の撮影ももちろん出来ず、社内のシーンは共同通信で撮っています。実は有名監督の夫人が澤地さん役で出る予定だったのに、直前になって監督が断ってきた。「こんな作品に出たらCMの仕事が来なくなる。家内は出せない。きみは本当に撮るのか?」と言うんです。実際僕はこの作品の後、2年間仕事がなかった。テレビは許認可事業だと始めて気付たほどです。堪り兼ねて知り合いのテレビプロデューサーに仕事が欲しいと頼むんですが、苦労しましたよ。(聞き手:犬塚芳美)           
<明日に続く>

  この作品は、4月24日(土)から第七芸術劇場、
        6月5日(土)から京都シネマ にて公開
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