太秦からの映画便り

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行く先々で死体が転がる底なしの不条理劇

映写室 NO.141 ノーカントリー 
    ―本年度アカデミー賞4部門受賞作は息を詰める緊張感―

 1980年代の荒涼としたアメリカの西部テキサスを舞台に、行く先々で死体が転がる底なしの不条理劇。最初から最後まで恐怖に支配されたこの作品を、好きかと聞かれたら微妙だ。でも金縛り状態だったこの怖さは、誰かに話したくなる。殺し屋と彼に追われる男を追うのが、なんとも時代遅れの保安官というのだけが救いだった。今年度のアカデミー賞で4部門を受賞し、コーエン兄弟の最高傑作とまで言われています。

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(C) 2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.

 <この不条理劇も、始まりは一人の男の>夫としての思いからだった。狩に来たモスは砂漠の中に置き去りにされた車を見つける。そこは死体の転がる惨劇の跡で、トランクには麻薬がぎっしり積まれていた。木陰に人影を見つけるがそれも死体で、大金の入ったトランクが側にある。思わず手にして、瀕死の男に水を運んでやると、何処からか車が撃たれた。今度は自分が殺されると、訳も解らないまま自宅に戻り妻を実家に帰して逃亡を始める。一方保安官のベルは、惨劇跡のモスの車から彼の身を案じて行方を捜し始めた。

 <メキシコと国境を接するこの辺りは>、アメリカ映画によく登場する。たいていは悲劇の舞台で、延々と続く不毛の大地の時の止まったような貧しさ、移民、麻薬と負の部分が強調されてきた。土地そのものの持つ暴力性が、映画的で想像力を掻き立てるのかも知れない。だから私にとっては、この物語は主要な3人以上にこの土地が主役だ。
 土煙ばかりのこんな土地で、まっとうに働いて手に入る金なんてたかが知れている。主人公のモス(ジョシュ・ブローリン)も自分の力で貧しさから抜け出せる希望があれば、こんな惨劇に巻き込まれることはなかったのだ。たとえ横取りでも、大金が目の前にあるこのチャンスを逃したら、妻に一生ましな暮らしをさせてやることも出来ない。根底にはそんな現実へのやるせなさがあったと思う。

 <そんな事は妻にも言わないけれど>、そこは演出の巧みさで、危険な場所にわざわざ引き返して水を運んだ優しさ等から、まっとうな彼の内面を想像させる。ブローリン演じるモスの優しさとタフさと粗野さが、いかにもこの地の男のものだ。だからなお更この後の展開が辛い。でも一度乗ったら降りれない命がけのゲームに不注意に乗ってしまった男の、眠っていたベトナム帰還兵の戦闘能力が蘇るあたりで、その優しさも無意味になる。出発は愛や責任感でも、すぐに女は置き去りにされて物語は進んで行く。(あ~あ、なんてこった!)と男たちへの怒りと共に、そこに哀れさや虚しさを感じたのは、私が妻の視点に立ったからだろう。

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 <おかっぱと言う不思議な髪型で>、人間性の欠片も見せず、ひたすら職務どおりにモスを追い詰める男シガー(ハビエル・バルデム)の不気味な事。いかにもの殺人者顔ではなく、「海を飛ぶ夢」等の名演のある、笑みを含んだようなバルデムが演じるからの恐怖感だ。観るほうは怖くても、役になり切ったバルデムは楽しんでそうに見える。
 <この男の凶器は大きな酸素ボンベのついた>空気銃で他の物は使わないと言うんだから、人を食った話。目立つ格好で、隠れないで真正面から真っ直ぐ相手を追っていくその自信や、撃たれても怪我をしてもまるで痛みを感じないかのように起き上がって、体を機械のように繕い殺人と言う職務に戻る様は、まるでサイボーグだった。でもこれも脚本と演出の巧みさだろうか、恐過ぎる姿が、最後の頃には哀れに見えてくる。
 行動の基準は感情ではなく、彼の中の回路のオン、オフだけで、コインの裏表で殺すか殺さないかを決めて、自分のその規則には忠実なのだ。何を考えているのか全く解らないその姿が狂気を感じさせる。

 <2人の死闘を追う引退間近の保安官ベル役は>、トミー・リー・ジョーンズ。昔気質の正義感やほんわか感は2人からするといかにもずれていて、ベルが登場するとほっとした。ほっとはしてもこんなテンポで助けられるはずがなく、彼の想像のはるか彼方で死闘が続いているのがこの男の滑稽さだ。ただ役者にコーヒーのコマーシャルでお馴染みのとぼけた印象が強過ぎて、「ほんわか」というこの味わいが、演技で感じた物なのか私の潜在的なイメージなのかが解らない。それがなければ、ベルの纏う時代に取り残された男の哀れさや渋みが浮き上がって、複雑に加わるかもしれないのだ。だとしたら物語はもっと深くなる訳で、やっぱり映画スターはあまりコマーシャルに出てはいけないと、余計な感想を映画を観ながら思った。

 <何しろコーマック・マッカーシーの原作>の題名が「血と暴力の国」だ、どんな展開か想像がつこうと言うもの。製作のコーエン兄弟は原作にユーモアを感じ、そこに自分たちのユーモアを重ねたと言うけれど、私の場合は怖過ぎて、ボンベ付の空気銃以外そんなものとは無縁だった。不条理にユーモアを感じるほどに、現実とは遠い話であって欲しい。
 ひたすら逃げる方の視点で見たけれど、追う方はゲームのように楽しんいる。それこそが恐怖で、現代の殺人者を眺めるある視点でもあるのだろう。逃げられないゲームに乗ってしまった2人と、何とか食い止めようと届かない所でそれを追いかける男を俯瞰すると、その愚かさが可笑しくもなる。不条理そのものの殺人劇を観ながら、バックに漂う男の生き方の哀愁を嗅ぎ取って欲しい。

 3月15日(土)よりTOHOシネマズ梅田等、全国ロードショ―

ディープな情報
 アカデミー賞の受賞は、作品賞、監督賞、脚色賞(共にジョエル&イーサン・コーエン)、助演男優賞(ハビエル・バルデム)の、主要4部門です。受賞の喜びを、本人たち自身が俳優のようにかっこ良く存在感のあるコーエン兄弟は「私たちは、小さい頃から一緒に映画を作ってきました。映画の中で相変わらず遊べていることに感謝します」と話し、不気味な殺し屋を演じたバルデムは「史上最悪の髪型を僕の頭にのせてくれて、コーエン兄弟有難う」とユーモラスに語っている。
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