太秦からの映画便り

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映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(後編

映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(後編)    
―被災地の非日常の中の日常―

<昨日の続き>
―数時間しかいれなかったのは、日程的な問題ですか?
大宮:いや、違います。単に自分があの場所に居れなかったんです。それを確認するのが、自分としては今回の作品の一つのテーマだった。あの時感じたのは、現実感が消えるとか言うレベルではなく、もっと凄くて、表現は悪いけれど、目の前にあるのは悲しみをテーマにした、テーマ・パークのようなものでした。しかも出口のないテーマ・パークなんです。本来のテーマ・パークは、楽しく夢を与えてくれて、そこから出たくないのにいつかは出ないといけない場所だけれど、この場合はその真逆ですから。
―その時にこの作品を作ろうと?
大宮:いやそれも違いますね。東京に帰った後、あの時あの場所にいれなかった自分を考えながら、この未曾有の震災に対して、映画に何が出来るかを考えたわけです。例えば東京なんかでも、震災後に人が入らなくて、映画界も大打撃を受けましたが、計画停電のせいだけじゃあなく、あんな揺れを経験すると、誰だって暗闇に足を向けたくなくなる。仕方ないですよ。回復するには時間がいります。

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©大宮映像製作所

―ええ、確かに。出歩かないで夜は早々に帰っていました。
大宮:あの時は、これで終わるんだなあと思いました。地球がとか、何とか言う前に、単に終わるんだなあと思ったんです。3.11は誰にとっても、大きなターニング・ポイントになりました。3月に行った時は自分の前の作品でも映している介護施設を訪ねたんですが、そこの建物は被災していなかった。でもちょっとした違いでこんなになってしまうのかと、わけが解からず、現実感が消えてしまったんです。撮影に行くと、現実として受け止めないとその場にいれない訳で、3月にはそれが出来なかったんでしょう。今回被災された人々にとっては、あの非日常的な情景が日常と言うことですよね。報道は非日常を映すのだから、映画は非日常の中の日常を映そうと思ったんです。僕らは簡単に仮設住宅というけれど、仮設と言って良いのか? 仮設住宅が終の棲家になる人が出てくるように、復興とか支援とか言っても、決して元に戻すことではないはずです。義援金という形で経済的な後押しをするのも、マンパワーとかも必要だとは思うのですが、それで気が済むといったような、一方通行にならないようにしないと。

―最初に被災地に入られた時のお気持ちは? 映画のタイトルと言うことですか? このタイトルが決まったのは何時ごろ?
大宮:被災地を回って確認できたのは自分の無力さ加減でした。作中の玄侑宗久さんのシーンは最後に撮ったんですが、玄侑さんとはこの時が初対面だったんです。あの方自身も被災されていて、本堂は大被害を受けていますからね。それに復興委員でもあるんですよ。「私が感じた、どうしようもないと言うような気持ちを表す言葉をお持ちでしょうか」という素朴な質問に、「仏教の言葉で表すとしたら、無常でしょう。無常としか言えないですね」と言われ、自分の気持ちすら掴み切れなかったのに、すとんと整理できる言葉を提示してもらったなあと思いました。

―無力感に襲われ、なすすべもなく立ち尽くしたという監督の気持ちが良く伝わってくる言葉ですね。
大宮:この規模のことは初めてかもしれないけれど、この地方は何度も大きな災害に見舞われています。人間の力の及ばないところでの出来事に、東北の人々は今まで仕方がないと受け入れてきたんですね。根本が自然の威力と言う人の力を超えたものなので、怒りの持って行き場もないと言うわけです。無常という思いが日本人の中に染み込んでいるはずなんですよ。だからこそこういう言葉があったんですから。慣れとは恐ろしいもので、陸に打ち上げられてオブジェ化した船ばかり見たもんだから、たまに船が海を走っていると、今度は逆に違和感がありました。

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(6月24日 大阪にて)

―そうなるものですか? 医療ボランティアで被災地に入った友人が、あまりの惨状にボランティア側にも鬱の人が続出したと言っていましたが、監督は大丈夫でしたか?
大宮:3月に僕が数時間しかいれなかったと言うのも、そうならない為の防衛本能だったのかもしれません。今回も同じカメラマンと一緒に行ったんですが、3月の経験があるので覚悟もしていたし、いくらかは免疫もあると思ったんですが、そういうのは驕りで、数時間程度のものは免疫でもなんでもないと、すぐに思い知らされました。
―現場でカメラをまわした時の心境は?
大宮:御覧頂いたあの場所で、ちっぽけな一個人の主義主張をするなど出来ません。号泣するとか歌を歌うとか、アクティブなことを出来る人もいるかと思いますが、僕は呆然とするしかなくて。そうするしかなかったと言う思いを伝えたかったんです。ところがこれほどのことでも、人間はすぐに忘れてしまう。それは世の中の変わるスピードがどんどん速くなっているということでもあるんですが、やがてあの場所にも建物が建ったりすると、今の情景を忘れ去ってしまうでしょう。自分の中の薄れていく思いを止める為にも、撮りたかった。映したからには、同じように早くお客さんに届けたかったんです。

―皆さんにお話を聞くのは大変でしたか?
大宮:いいえ。何人かに話を聞いていますが、声をかけた方は、皆嫌がらずに話してくれました。その8割方を使っています。方言がきつかったり、マスクをしていたりで。何を言っているのか解かりにくいところもありますが、言葉は解からなくても、言葉を言い出すまでの間とか、言いよどむ様子とか、もっと多くのことを伝えているのではと思ってそのままにしています。報道は方向性が必要で、素描では成り立ちません。復興物語という美談にするか、悲劇にするかですが。時期によっても変わるんですが、まず方向性を決め、それによって構成を考え、それにあった映像を撮りに行くんです。映画でそれはしたくない。ありのままを伝えたかった。素描と言うのは、元々スケッチしか出来ないなあと思っていたんです。(聞き手:犬塚芳美)

 *入場料金の一部(一人に付100円)をCLCという、仙台に本拠地を置く介護ネットワークを通じて寄付します。


この作品は、7月2日(土)~シアターセブン(06-4862-7733)で上映
  7月2日(土)~15日(金)13:00 15:00
(尚、3日のそれぞれの上映終了後に、大宮監督の舞台挨拶あり)
  7月16日(土)~22日(金)13:00
  7月23日(土)~29日(金)15:00

  7月23日(土)より、神戸アートビレッジセンターで上映   

《インタビュー後記:犬塚》
 <言葉を無くし>、ただ呆然と立ち尽くすより他なかったと言う監督の思いが、強く伝わってくる映像です。瓦礫の撤去等、遅すぎると言う怒りの声も多い中、「瓦礫の撤去にしても早ければ良いというもんではないと思う。外から勝手に押し付けてはいけない」と言う監督の言葉を考えてみました。現実感を持つとは、現実として受け入れると言うこと。あの悲しみを東北の人々は今、現実として受け止める作業をしているのではないでしょうか。かっての暮らしの痕跡を、瓦礫だと心の底から思えるその日まで、置いておけばいい。時間がかかっても仕方がない気がします。心の傷を癒しながら、たらたらと自分の歩める速度で歩き始めてもいいのだと、急がさないでそういってあげたい。
<皆同じように不安で打ち震えていた震災の直後>よりも、被災者間に差が出始める之からの方が、きつい人も増えてくるでしょう。命が助かったからには自分の足で歩き始めないといけない。そんな立ち向かっていく意欲を、被災者の自発的なものに任せるのは、あまりに酷な気がします。これからの辛い日々に、いっそあの時死んでしまえばよかったと、思う人が出ませんように。
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| | 2013年02月12日(Tue)18:52 [EDIT]


 

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