太秦からの映画便り

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映写室「青空どろぼう」阿武野勝彦プロデューサーインタビュー(前編)

映写室「青空どろぼう」阿武野勝彦プロデューサーインタビュー(前編)
―「四日市ぜんそく」の記録人を追う―

 「平成ジレンマ」で、優れたテレビドキュメンタリーを劇場で公開するという試みをした、東海テレビの阿武野勝彦プロデューサーが、新作「青空どろぼう」で、第二弾を仕掛けてきました。日本四大公害の一つ、「四日市ぜんそく」を覚えていますか? とっくに無くなったものと思っていたけれど、今も黙々と上がる煙突からの白煙。目を凝らしてそれをカメラに捕らえる老人、澤井余志郎さんをこの作品は追います。この人こそ、四日市公害裁判の元原告らを支え続ける、公害記録人です。この作品の誕生秘話や、「四日市ぜんそく」、今も続く福島の悲劇等について、今回はプロデューサーだけでなく、共同監督もされた阿武野勝彦さんに伺いました。

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(6月27日 大阪にて)

<その前に「青空どろぼう」とは、こんな作品>
四日市市磯津地区では、 高度経済成長期に、石油化学コンビナートからの煤煙で多くのぜんそく患者が発生した。苦しさのあまり自殺者まで出したこれが、日本四大公害の一つ「四日市ぜんそく」だ。公害防止法の法制化のきっかけとなった、1972年の裁判の判決から38年がたつ。公害裁判に立ち上がった人々と、彼らを支え続けた男の目に映った38年間はどんななのか? 原告の一人元漁師の野田之一さんと、澤井余志郎さん。二人の絆も浮かび上がる。


<阿武野勝彦さんインタビュー>
―前作「平成ジレンマ」に続いて、今回の「青空どろぼう」も、いい題名ですね。押し付けがましくなくて、大層でもなく肩透かしの仕方とかセンスが良いなあと思いました。何方が付けられたんでしょう?
阿武野勝彦プロデューサー(以下敬称略):有り難うございます。僕です。
―確か「平成ジレンマ」も阿武野さんが付けたんでしたね? どういう風にしてこの題名になったんでしょう?
阿武野:去年の11月に、50分バージョンをテレビで放映した時は「記録人・澤井余志郎」とし、サブタイトルとして四日市公害と付けたんですが、すぐに劇場用に94分バージョンを作って、映画でこの題名はないなあと思い、色々なことを考えたんです。目を閉じて、94分に纏まったものを何度も思い浮かべて見たら、澤井さんが何か犯人を追いかける刑事に見えてきた。でも、どろぼうはなかなか捕まらない。盗まれたものは何か? 青空と言うことで、二つをくっつけそこからはすぐに完成しました。この過程で自分がどろぼうの片棒を担いだような気もしてきたんです。

―片棒を担いだとは?
阿武野:近くのテレビ局に勤めながら、四日市公害はすでに終わったと思い込んで、1972年以降に発症した患者さんの為に何もしてこなかった。澤井さん一人に刑事をやらせていたわけで、そういう意味ではどろぼうの片棒ですよね。
―そういう重いテーマを秘めながら、過激には迫らず、底流にそれが流れているのが良いですね。まずは人を描くと言う、抑制の効いた語り口です。
阿武野:僕は元々叙情派を自認しているんですよ。激しいものは自分の本意で作っているわけではなくて、いやいや引っ張られてやっている。叙情的なものの方が自分の得意な分野です。ただ残念ながら、闘争的な面も持っているので、取材の過程でこんな事実があるのかと発見してしまう。何かの時に、視点を変えるとこういう風にも見えるよと、気付いてしまうわけです。これもそんな風にして作りました。元々東海テレビの50周年記念番組として、3年前に1年をかけて、「ドキュメンタリーの旅」という、昔のドキュメンタリーの現場や人を訪ね歩くと言うシリーズを作ったんです。永六輔さんと吉岡忍さんの二人に旅人になってもらったんですが、その中の一本、吉岡忍さんに旅してもらったのが「四日市公害」でした。澤井さんに案内されて四日市を回ったんだけれど、僕は澤井さんが誰だか知らなくて、四日市公害についての市民ボランティアだと思っていたんです。吉岡さんのインタビューが始まると、野田さんが「いろんなんが来たが、みんなわしらを利用して、最後は裏切りよった。…ずっと変わらんのは澤井さんだけや」と言った。澤井さんが外でそれを聞いて、ハンカチで目頭を押さえている。その時から、私の中で澤井さんが気になってしかたのない人になりました。そうは言っても、生来の怠け者なので、一年位寝かせたままだったんですが、編集マンに突付かれ、最初は澤井さんの人生を追えばいいんだと言う軽い気持ちで撮り始めたんです。まさか四日市公害を追う事になるとは思ってもいなかった。澤井さんの半生を追って、昔男ありきのように作ろう。私たちと同じ時代を生きた記録人を記録して、記憶に残そうと思っていたら、澤井さんの人生をなぞっている間に、(今、四日市公害ってどうなっているんだろう?)と疑問を抱く。で、調べ始めました。ところが、1987年の「公害健康被害補償法」の改正後、新規の公害病認定患者がいない。ゼロなんです。この奇妙な構図の謎を現場で聞きまわっていきました。市役所にデータがあるのでは? 三重県にならデータがあるのではと思うけれど、ないと言われる。患者がいないわけではないのに、ゼロありきなんですよ。この辺りで四日市を記録してきた澤井さんの歴史に、私たちがスパークしました。即座に、鈴木祐司監督に、「行け~」と命じたと言うわけです。

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©東海テレビ放送

―テレビ局ならではの強みで、報道とかの自局の古い映像も使える。今撮り始めても、今だけでなく、歴史を描くことも可能だと。ここからは早いですね。
阿武野:そうなんです。「ドキュメンタリーの旅」を作っているので何処に何があるか頭の中にありますから。拾い上げていくのも楽でした。
―プロデューサーを努められた、前作「平成ジレンマ」もですが、司法ドキュメンタリーシリーズ等、硬派ですね。東海テレビの社風ですか? 時代に埋もれそうな事件の発掘とか、良い所をついてきます。
阿武野:「平成ジレンマ」については斉藤監督の執念ですよ。僕のほうが10才位年上なので、僕がしてもらえなかったことを彼にしてあげたいと思っています。斉藤監督は20年営業にいましたし、僕もアナウンサー出身で、報道としては二人とも外様なんです。だから記者クラブに入り込まないで、独自の路線が貫ける。司法シリーズの最初は、名張の毒葡萄事件を追いかけたんです。彼に「何か思った?」と聞くと、「裁判所がおかしいですよ」と言った。裁判所は取材させてくれないのはわかっていたけれど、断られるのを撮ろうと思って行きました。ところが丁度、裁判員制度が始まる時で、裁判所も広報努力をしているとアピールしたい時に当って、ある意味で幸運でした。この時に、斉藤に「司法ドキュメンタリーのエキスパートになって欲しい」と言うミッションを与え、それで何作も作っていったんです。(聞き手:犬塚芳美)
                            <明日に続く>

この作品は、7月16日(土)より第七芸術劇場で上映
順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
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