太秦からの映画便り

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新年おめでとうございます

映写室 NO.131僕がいない場所 
     ―母の愛を求めて―

 新年おめでとう御座います。今年も映写室をどうぞよろしく!
さてさて、初春1作目なので賑やかな作品をと思ったのですが、まったく逆のセレクトになりました。代わりにお届けするのは、「これぞ映画!」の珠玉の世界。アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキーを輩出したポーランドから届いた小品は、美しく淋しい風景と受難の子供たちに心が震えます。映像といい物語といい、「映画好き必見!」と断言しましょう。今年も映画を観るぞう!

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(C)2005 Dream Entertainment Inc. All Rights Reserved

荒筋
 孤児院で暮らすクンデルは、詩人になるのが夢だ。母が恋しくて反抗するから友達がいない。先生にも睨まれとうとう脱走するが、苦労の末に辿り着いた家は荒れ放題、母がその中で見知らぬ男と眠っていた。怒って飛び出した彼を追いかけて、男の愛がないと生きていけないと泣き叫ぶ母。母の家もクンデルの居場所ではないらしい。町をさ迷い、川縁の朽ちた艀船にねぐらを見つける。夜更けに酒の空き缶を投げ入れたのは、まだあどけない少女だった。


 <映像の少年の顔を見て欲しい> 彼が志すとおり、大人びた瞳にもう詩人の孤独と鋭さがあって、子供なのに老人の様にも見える。彼の顔から丸い頬を奪ったのは何だろう。守られて当然の子供たちが、今受難の中にいる。こんなにも母を乞い母の愛を求めながら、その母はあまりに愚か。我が子を守るよりも自分が守られたくて、夜毎に男を求めて町の噂にもなっている。子供を生み、その子を愛しながら、母親にはなれない女。自堕落で自分勝手で弱くて、どうしてそんな女が母親になったのかと腹立たしいけれど、そんな母を嫌いながらそれでも母を乞わずにいられない子供の心理が、痛々しい程伝わってくる。

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 <なんとも映画的で残酷なテーマだけれど>、脚本も書いた女流のドロタ・ケンジェルザヴスカ監督は、この映画を作ったきっかけは新聞の片隅を占めた「実話」の数々だと言う。この作品の世界は、特殊ではあっても悲しい現実なのだ。そう言えば2,3年前に邦画でも、無責任な母に捨てられた子供たちの実話を元に作られた、是枝監督の「誰も知らない」があった。他人から見るとどんなにひどい事をされても、母親が大好きで、だらしない母を庇ってしまう子供たち。その愛おしさを知る映画でもあると思う。


 <主人公のクンデルを演じるのも>、彼の唯一の友達の少女クレツズカを演じるのも、監督がイメージに合わせて国中から探し出した素人の子供たち。2人とも物怖じしないで、演技とは思えないナチュラルな表情を見せている。少年の大人ぶる様が素敵だった。クンデルがくず鉄拾いでわずかのお金を手に入れ、食堂で食事するシーンがある。お金は要らないという店の人に、お釣りは取っておいてと硬貨を置いて立ち去るすまし顔、どんな境遇にいても崇高な少年の精神は曇らない。老成した表情は誇り高く、日本にはいない、大人文化の国の少年の顔だと思う。だからなおさら幸せだった頃を思い出し、壊れかけたオルゴールを繰り返し聞くシーンが、彼が唯一見せる幼さで切ない。


 <暗い映画だけれど彩りもある> 彼とクレツズカとの心の触れ合いがそれで、2人がおそるおそるお互いの孤独を理解しあう様が初々しい。そのクレツズカを演じる少女は、孤児院から見つけ出されての出演で、これを機会に演技に目覚めたと言う。豊かな家の子供なのに、美人で頭のいい姉の影で、ブスで頭が悪くてと劣等感の固まり。この年でお酒で気を紛らわせる鬱積した様を圧倒的な存在感で見せる。野放図な表情の後で、くるくる動く瞳が時には意地悪そうでもあり、無邪気にカバンを振り回す幼さと不似合いな複雑な陰影が過って、どきりとさせられた。2人の名子役の、子供と老成した大人の間を行き来する表情の変化に胸を締め付けられる。


 <この作品のもう一方の主役が>ポーランドの選び抜かれた風景と光と風だ。全編の押さえた色調と、古い石畳の町並み、冬枯れの水辺の淋しい風景はまるで少年の心のよう。監督の夫でもあるアーサー・ラインハルトが、映像の1枚1枚を絵葉書のように美しく切り取っている。時にはカメラを少年の虚ろさのままに揺らし、時には少年の心のままに水面を死への誘惑のように冷たく写す。隙のないアーティスティックな映像に魅せられた。セリフが少ない分映像に多くを語らせる作品だと思う。
そこに被さるのが「ピアノ・レッスン」、「髪結いの亭主」等の巨匠マイケル・ナイマンの音楽。監督の作品を気に入っての協力らしく、抑えた旋律がクンデルの悲しみに重なり、何時までも耳に残った。物語上は大人に恵まれない2人だけれど、映画作りでは熟練の大人たちが2人の演技をしっかりサポートしている。


 <社会主義から民主主義に変わり行くポーランド>で、自分たちが生き残る為に、その対応に手一杯の大人の隣で、子供たちが悲鳴を上げている。それは日本も一緒で、忙しさにかまけて私たちは時々聞き逃すのだけれど、監督は聞き逃さないで、子供たちはこんなにも母を乞い、愛を求めていると、ピュアな魂を詩的世界に閉じ込めて届けてくれた。愚かとは言え、その母の弱さを哀れに思ったのは、女流監督に共振した私の視点だろうか。大人だって誰かに愛されないとそれほど強くはない。この日々が、未来の詩人クンデルの思考をより深めたと思いたかった。

    関西では、1月5日(土)より第七芸術劇場で上映。
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