太秦からの映画便り

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「実録・連合赤軍~あさま山荘への道程』について

映写室 シネマエッセイ  
  ―学生運動から連合赤軍まで―

 <貴方の記憶に残る>社会的な問題を一つ挙げるなら何だろう。私の場合は、東大紛争から始まって衝撃的な結末を迎えた70年代の学生運動だ。社会全体が今では想像も出来ない位政治的だったあの頃、私のような普通の学生ですら、運動の周辺をうろついている。

 <70年の安保闘争の挫折感から>、学生運動は過激になる一方だった。自分の大学の取締りが厳しくなった京大の過激派が、私の母校に潜り込み出したのはこの頃だ。気がつくと彼らと一緒になった一部の学生が、椅子をバリケードに教養棟を封鎖していた。教授陣を吊るし上げて団交に持ち込み、黒ヘルとタオルで顔のほとんどを隠し、角棒を持ってスト破り(つまり授業を受ける事)の粉砕に駆け回る学生たち。独特の口調で拡声器でアジる者の中には、クラスメートも親しい人もいる。今考えると何を目指していたのかも解らないけれど、あの頃ノンポリでいるのにすら理論武装が必要だった。未熟だとしても、誰もが現状を憂いていたのだ。過激派からは民コロなんて言われた民青のオルグも盛んで、学生集会はセクト間の小競り合いが絶えない。「お前は何なんだ、この国をどう思っているんだ」と連日両方から糾弾され、無い頭で真剣に考えるから肩はバンバンに凝り、もう限界だった。春の日差しと共に訳が解らなくなって、私は友人と共に能登半島の旅に逃げている。

 <その旅の途中で買った新聞に出ていたのが>、群馬県の山中から次々と出る、リンチで死んだ連合赤軍のメンバーの遺体の記事だ。丁度バスを降りて双子岩の国民宿舎に行く直前に読んだからたまらない。向こうに見える建物までの真っ暗な道が怖くて、友人と2人大きな声で歌を歌いながら、それでも途中からは堪え切れず、走り出したのを覚えている。逃げ出したバリケードの向こうにこんなことがあったなんてとぞっとした。首謀者たちに憧れの横浜国大の学生が多いのも、私にはことさらショックなのだ。その後は、誰が地下に潜ったとかの噂が聞こえ、人が消えて、気がつくと新学期からは学生集会という言葉も聞かなくなる。運動はあまりの衝撃に急速に萎んでしまったのだ。
 <同年代の方なら誰もがそんな記憶を持って>いるのではないだろうか。熱病のようなあれは何だったのかと考えても、答えは見つからない。少し前小池真理子さんが、あの山中にいた一人の女性を主人公にした小説を、週刊新潮に連載した。純粋さゆえに運動に加わりリンチ事件の当事者になる姿は、我が身とそう変らず、ぞっとした人もいると思う。一連の事件は、今もって忘れられない心の闇、空洞だ。なのに、あの時代を運動の近くで生きながら、何かが解かって何かが解らない。

<そんな事件を俯瞰する>、左翼運動からあさま山荘への過程をたどった映画が出来た。若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」だ。ベルリン映画祭でのダブル受賞で話題を集めたので、ご存知の方も多いだろう。関西での劇場公開前の20日に、京大の「西部講堂」で300人を集めた先行上映会がある。監督は当時のままで残る伝説の西部講堂での上映に、ことさらの意味を感じると言う。

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(c)若松プロダクション 

 <バリケードの中で消防車の放水を浴びた>彼らに知らせようかと思うけれど、中心にいた人たちの行方は知らない。たまに当時の事を話すのは、遠くから見ていた私や活動をしたとしても流行り病のように通過した者たちだ。それでもお互いに肝心の何かは話せないし話さない。感じる事は出来ても、感じる物を言葉にした途端、パンドラの箱を開けたように総てを無くしてしまいそうな気がする。

 <だから長谷川和彦監督がこの題材をテーマに>映画を作ろうと思いながら、結局作れないのは当然かもしれない。同世代で身近な者になればなるほど、何を描いても描ききれない何かに思い至るはずだ。いや安穏とした所から作ること自体を、欺瞞に思うのかもしれない。少し距離のある、あの世代の兄貴的存在の若松監督だからこそ作れたのだと、こうして書いていて気付いた。
 この映画の事を知らせなくても、誰もがどこかで噂を聞きつけているだろう。こんなに時が流れても、ニュースの片隅の「過激派」や「連合赤軍」と言う文字を見逃すとは思えない。この映画はひっそりと一人で観るのが相応しいような気がする。
 


※近日中に若松孝二監督の合同インタビューを記載します。なお、西部講堂での上映会については、京都シネマ(075-353-4723)までお問い合わせ下さい。
※2.上記は自分の認識レベルに合わせて、過激派の運動を分類しないまま書いていますが、「赤軍派」と「連合赤軍」あるいは「日本赤軍」の間ですら違いがあり、「連合赤軍」は全く異質な、粛清思想を容認するスターリン主義の毛沢東派が主導していたと、元赤軍派議長の塩見孝也氏は指摘します。

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| | 2012年07月11日(Wed)06:31 [EDIT]


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| | 2013年03月31日(Sun)10:29 [EDIT]


 

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