太秦からの映画便り

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若松孝二監督インタビュー

映写室「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(前編)
      ―若松孝二監督インタビュー―
 若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」がベルリン映画祭で、国際芸術映画評論連盟賞と最優秀アジア映画賞をダブル受賞したのは、すでにお知らせしたかと思います。監督が凱旋帰国したその足で、キャンペーンの為に来阪されました。公開前のこのタイミングでの快挙に、ご本人はもちろん、関係者も取材陣もお祝いムード一杯。そんな会見の様子をレポートしましょう。

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(c)若松プロダクション

その前に「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」はこんな作品 
 「この作品に描かれた事件や出来事は総て事実だが一部フィクションも含まれる」とナレーションがあるように、ニュース映像での政治に蠢いた60,70年代の運動の検証と、その後の再現ドラマから成り立つ。劇部分は各大学の混沌と相次ぐ指導者の逮捕、残された者たちの連合赤軍への結集から群馬県山中での軍事訓練、果ては集団リンチから、5人が立て籠もって警察と壮絶な撃ち合いをしたあさま山荘までの道程が描かれる。

―監督受賞おめでとう御座います。その後の反響はいかがですか。
若松孝二監督(以下監督):ベルリン映画祭でたまたま賞を二つも取ったので、注目されました。42年前にこの映画祭のコンペティションで、「壁の中の秘事」が上映されたのに、日本に帰ると国辱映画と言われた過去を持つだけに、やっとオトシマエを付けれました。
―この作品を何時ごろ撮ろうと思われましたか。
監督:丁度この事件が起きてすぐ、それに絡んだ「天使の恍惚」という過激な作品を作りました。いつかこの題材で映画を作りたいと思いながら、長谷川和彦が作ると言うんで、だったら僕は協力しようと、色々知っている事を話したりしたんです。でも何所に持って行ってもお金が出ず、企画が流れた。大阪の学生の作った映画もありましたね。一番のきっかけは『「突入せよ!」あさま山荘事件』を観てで、酷いよね。(こんなんじゃあ、志半ばで死んだ若者たちが死んでも死にきれない。彼らをきちんと描かないと)と思った。映画を権力側から撮ってはいけないんですよ。僕も年だし、だんだんその年代の人が亡くなっていく。こうなったらもう自分が撮るしかないと思いました。
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宣伝:この前「17歳の風景」を撮って、大阪にキャンペーンに来てもらって夜皆で飲んでいる時に、そんな話が出たんです。募金を募って撮ろうとなりました。でも実際に募金したのはほんの数名で。
―確かにその頃映画館でそんなチラシを見ました。
監督:新聞記者たちも、もうすぐ自分たちも定年だから、あの事件を検証しないといけない。退職金から出してとか言ってたけど、言うだけで実際にはお金が集まらない。僕は肺がんをやったけど手術したら他には転移してないというし、まだ2,3年は大丈夫だろうと思って始めました。僕が作ると一方的に連合赤軍が正しいと言う作品を撮ると思われるので、そうじゃあない、どちらにも中立な物を作ろうと思った。

―お金はどうされましたか。
監督:長谷川にしても、こんな題材で撮るといっても金を出してくれるところはない。僕がやると言っても、もちろん文化庁なんか出しません。全部で1億5千万から2億かかったけれど、新宿の自分の家や名古屋に持ってる映画館を担保にして借りました。後はこつこつ貯めたお金を全部吐き出し、娘にせびったりして何とか出来た。
宣伝:監督のあさま山の別荘を、この映画のあさま山荘に見立ててぶっ壊したので、実際は2億にその分の3000万も追加になります。
監督:外は実際のあさま山荘を撮ってますが中は自分の別荘です。映画の中で壊したのはこっちですよ。アジトになる山小屋は3つ建てましたが、地元の皆に助けられました。向こうには子供の頃の同級生がいるんです。図面だけこっちで書いて、延べ200人位の大工さんに建てて貰った。一番お金がかかったのはそんな人件費です。
―凄い雪のシーンがありますが。
監督:雪は総て本物です。この作品はワンカットもCGは使っていない。CG だと解りますからね。2,3年前からお正月に帰る度に猛吹雪のある場所を探して撮る場所を決めていたんです。でも撮影した年はぜんぜん雪が降らない。困っていたら、僕は5時起きなんだけど、その日は降りそうだった。雪国の生まれなんで雪の降る日が解るんですよ。「そら行くぞ」と急き立てて30分くらいで撮り終え、終わると日が差してきた。神が付いていると皆が驚きました。

―役者さんたちはどうやって集めましたか。
監督:総てオーディションです。あるプロダクションに今度こんな作品を撮ると事情を話して募集をかけた。テレビを観ないのでほとんどの役者の名前を知らなかったんです。2回目のオーディションの時、森役のARATAがイケメン風の長い金髪から精悍な坊主になってやってきた。これはやる気だなと思いましたね。僕の現場は全部自分でしないと駄目なんです。スケジュール管理、マネージャー、メイク、衣装も自分1人でやるなら来い。他のスケジュールと重なるのも駄目、そっちを断って撮影の間体を開けるのが条件です。そうじゃあないとこんな映画出来ません。あさま山荘に籠った5人なんて、役に成り切って最後は汚れっぱなしで風呂にも入らなかった。そうやってあのシーンが撮れた。
―監督の気迫が乗り移ったのでしょうね。
監督:メイキングを見ると役者を凄く怒っているだ。最初はこいつ等大丈夫かなと思ってても、セリフを言わせたりしてるとだんだんそんな顔になってくる。森の役なんて、カットをかけないからセリフが自然に出てくるようになった。役に成り切って自分でどんどん喋り始めるんだ。                           
―永田洋子に扮する女優さん凄いですね。遠山役の坂井真紀さんも迫力がありました。
監督:坂井も最初は名前を知らなかったんです。あ、殴って変形した彼女のメイクは、特殊メイクなんでこっちでやりました。永田を演じた役者はピアの映画祭の審査員をした時、上手いんで特別賞を渡した役者です。後のパーティで話して、(よし、永田洋子は彼女で行こう)とその時に決めました。で、オーディションを受けてくれと頼んだんです。他の連中も皆いい役者で誰が欠けてもこの映画は出来なかった。
                                              (続きは次回)

   3/22(土)~テアトル梅田
   3/29(土)〜第七芸術劇場、京都シネマ
       (初日は監督の舞台挨拶の予定。時間等は直接劇場へ)
   4/26(土)~神戸アートビレッジセンターで上映
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