太秦からの映画便り

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映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(前編)

映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(前編)   
―ベトナム帰還兵とベトナムの人々に共通する障害―
 「花はどこへ行った」で、ベトナム戦争時に米軍が撒いた枯葉剤の後遺症に苦しむ人々を取材した坂田雅子監督が、今度はベトナム帰還兵の2世に広がる枯葉剤の後遺症を取材しました。前作の家族のその後も映ります。この作品に込めた思いを伺いました。

<その前に、「沈黙の春を生きて」とは>
 50年前に、レイチェル・カーソンは、“「化学物質は放射能と同じように不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。今のうちに化学薬品を規制しなければ、大きな災害を引き起こすことになります。”(「沈黙の春」より)と警告しました。DDTが規制されるきっかけとなったのですが、一方でベトナムでは、ジャングルに潜むゲリラの隠れ場所をなくするために、米軍によって大量の枯葉剤が撒かれたのです。
時を経て、直接枯葉剤を浴びたベトナムの人々は、本人だけでなく、子供や孫に多くの障害者が出ました。気が付くと、アメリカの帰還兵の間でも子供や孫に、ベトマムの子供たちと同じような障害が出ていたのです。物語の中心となるのは、そんな帰還兵の娘ヘザー。彼女は片足と指が欠損しています。ベトナムを訪ねて、自分と同じような障害で苦しむ人々と出会い、両者の連帯の大切さを実感します。


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<坂田雅子監督インタビュー>
―前作「花はどこへ行った」が、これにつながっているんですね。
坂田雅子監督(以下敬称略):ええ、思いはつながりましたね。前の作品を作ったことで自分の中では一つの区切りが出来たのですが、前作の上映会を色々なところでやり、講演会に招かれお話しする間に、色々な事を聞かれ、私も色々な事を考え、まだまだ伝えたいことがあると気が付きました。ベトナムの障害者を最初に撮影したのは2004年なので、その後どうなっているかも気になり、2008年に戻ってみるんです。その間にベトナムの事情も変わっていました。経済発展が目覚ましく、ベンツを何台も持つような富裕層が誕生していましたが、その反面、反映から取り残された人々も多い。格差が広がっていたんです。枯葉剤の問題も、被害者の会が、アメリカの化学薬品会社を相手に2度まで訴訟を起こし、最高裁まで行ったんですがそこで棄却されています。そんなこととか、何らかの形で知らせたいなと思い出しました。

―前作と比べ一段と進化されていて驚きました。視点が広がって社会性が深まったと言うか。
坂田:有り難うございます。前作は夫の死と言う自分の身近な事から出た、等身大の問題だったけれど、今回はもっと広く、社会的な視点で捉えたいと思ったんです。と言うのも、「花はどこへ行った」をもっとアメリカで見て欲しいと色々なところに交渉したんですが、テレビ局に「個人的な話過ぎる」と言われました。だったらもっと話を広げればアメリカの方にも見てもらえるのかと、気が付きました。で、色々取材をして、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」にも出会い、これのような、環境問題というもっと大きなくくりで作れないかと思ったんです。

―レイチェル・カーソンの「沈黙の春」と言うのは?
坂田:化学物質の怖さを訴えたもので、1962年にアメリカで出版されるや、たちまちベストセラーになりました。すぐに農薬の怖さが言われだして、薬品会社が告発されるのですが、それにいち早く着目したケネディ大統領は、アメリカ国内で農薬の波及を食い止めようとします。ところがその一方で、ベトナム戦争の枯葉剤を大量に発注する。どういうことだろうと思いました。例えば、アメリカで喫煙が問題になると、アメリカでは喫煙を規制しながら、中国にマール・ボロをどんどん輸出している。同じパターンなのかなあと想像しました。もしかすると、薬品会社の方が国防省か何かに売り込みに行ったのではないか、薬品の次の市場として戦争が利用されたのかもと。それを証明するような書類がないかと思ったけれど、証拠になるようなものは見つかりませんでした。

―怖い話ですね。自分の国を守りながら、産業の為にその分を他所に押し付けるというか。ぜひアメリカの方に見て欲しいものです。
坂田:ええ。この問題はアメリカで色々な人が見るのが大切だと思うんです。でもアメリカの人たちは、枯葉剤の問題をあまり知りません。ドクちゃん・ベクちゃんの分離手術をしたのが日赤の先生なので、当時大々的に報道され、日本では誰でも知っていますが、世界的に見るとそうではない。原爆の問題を一部の人しか知らないと言うのと同じです。アメリカの観客に広げるには、アメリカに問題を持っていかないといけない。それにはアメリカの人に出てもらうのが一番いいと色々模索しました。最初はアメリカの薬品会社の周りの汚染ホットスポットとベトナムのホットスポットを比べようと思ったのですが、上手くまとまらなかった。そんな時にベトナム帰還兵の第2世代の被害者に出会いました。

―物語を引っ張っていくヘザーさんは、人間的にも魅力的で惹きつけられました。あの方に出会っただけで作品の成功を確信されたのでは?
坂田:ええ。最初は、「エージェントオレンジレガシー」を創設した方と出会ったんですが、(あ、これで話をまとめることが出来る)と思いました。次の日にヘザーと会って、ますます確信し、最初思っていた方向とは違うけれど、物語の骨格が見えてきたのです。
―アメリカにもこのような被害者が一杯いるんですか?
坂田:ええ。ついこの間までは、それぞれが孤立していたので、他にはいないと思っていたんです。でもたくさんいました。
―全体をまとめるような組織がなかったと。
坂田:そうです。2005年の「エージェントオレンジレガシー」とかがきっかけになったようです。今でも公的なものはありません。統計的にまとめて、全体像を見る必要があると思うのですが。何で今頃そういう動きがあるかと言うと、最初はベトナム戦争の後遺症と言うと、PTSDや精神疾患、挙句の離婚等で苦しむ第1世代の問題がクローズアップされてきました。そんな第一世代が60代になってどんどん亡くなっていく。で、第2世代の人たちの意識が高まり、自分も戦争の犠牲者ではないかと思って検索すると、よく似たケースを見つけ、(あ、こんな人もいるんだ)と驚いたようです。情報環境が変わって、ネットで情報を集めだしたのもありますね。(聞き手:犬塚芳美)  <明日に続く>

この作品は、11月26日(土)より、第七藝術劇場(06-6302-2073)で上映
   11/26(土)~12/2(金)  12:25~,15:50~
   12/3(土)~12・9(金)   10:30~、18:40~
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