太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

若松孝二監督インタビュー

映写室 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(後編)
      ―若松孝二監督インタビュー―
(前回の続き)
―中心になるのはこの事件を知らない若い役者さんですが、撮影の前と後で皆さんが最も変った所を教えて下さい。
監督:物の見方、考え方、読む本が変りましたね。撮影後半年位はこの世界から抜け出せなかったようです。皆仲良くなって未だに集っては酒を飲んでますよ。今までは何でもいいから仕事をしてたのが、アルバイトをしてでも自分のしたい仕事をする。作品を選ぶようになったらしいです。これが公開になったら仕事が来るようになるよと慰めています。
renseki2.jpg

(c)若松プロダクション

―こんな時代にこんな内容を伝えるのは難しいのでは。若い観客はどうでしょう。
監督:これで火がつけば面白いと思っています。若い人には嫌なものには嫌と言える人間になって欲しい。イラク派兵とか軍隊は嫌と言う勇気を持って欲しい。デモをやる必要はないが立ち止まって考えて欲しいね。で、この映画で感動したら親にチケットを買ってプレゼントして欲しい。有難うって。尊敬するってそんな事でしょう。意味もなく親を尊敬するのは良くない。そんな奴ほど親殺しをする。「こんな良い子が」と言うのに事件が多いんですよ。小さい頃からの良い子がストレスになって、14~17歳の間のどこかでスイッチが入り、刃が向かうのが身近な親なんです。評論家等があれこれ理屈をつけるけれど、それは理由の解らない事なんだ。親を尊敬するなら何か理由を見つけて尊敬するべきで、反抗する位元気のある子じゃあないと駄目ですよ。
renseki3.jpg

―この作品を観た、かっての活動家たちは何て仰いましたか。
監督:自分の瘡蓋を剥いでくれたような気分だそうです。よく撮ってくれたと言いますね。「この事件があってやっと運動を止めれた」と言う人もいます。嫌な事を嫌と言える一番自由な時代だったとも言いますね。カミソリと言われた後藤田が色々情報操作して、赤軍は悪いと言うのを国民に見せた。アジトで見つけた遺体をもう一度埋めて、マスコミを集めてから目の前で掘り起こしてるんですから。セクトの両方に情報を流してお互いに内ゲバで潰し合わせたりもした。それだけでも100人位死んでるんですよ。最後にはその手口に気が付き出すけど、権力側がやることに対して、もう少し疑って見るのが大切だと思う。
―あさま山荘に籠もった5人のうち実際に会ったのは。
監督:坂東國男に会いました。日本赤軍が捕まって日本に帰ってくる前は、年に1回お正月頃には必ずアラブに行ってましたから。お餅とあんこと明太子を持っていくんです。皆寂しいと、僕が飲んでる飲み屋を探してはるばる電話してきましたね。そのうち行くから何て話しましたよ。彼が捕まる2ヶ月前にも行ってました。あそこに行くと自分の中に溜まった澱が浄化されて元に戻れる。皆純粋ですからね。いい奴ばかりだった。取材は、会える人には全て会いました。ただ加藤兄弟、特に弟のほうに会いたかったけれど、手を尽くしても駄目でしたね。若い頃にあれだけの事があったんだから、未だに引きずっているんでしょう。革命を目指して兄の後に付いて行って、結果的に身内同士が殺し合ったんですから。あさま山荘で一番銃を撃ったのがあの少年なんです。そりゃあそうでしょう、初めて敵に向かって撃ったんですよ。あの少年が最後に言った「僕らがもっと勇気を持っていたら、人を殺さずに済んだんだ」と言う言葉が、坂東の胸に突き刺さったそうです。それを皆にも観て解って欲しいですね。

―ベルリンでの上映はどうでしたか。
監督:2000人位入る所での上映でしたが、ほぼ一杯でした。ドイツにもドイツ赤軍があったので、興味を持って観たようです。日本にも赤軍があるのかと驚いてましたね。イタリアにもあって、赤軍があったのはかっての三つのファシスト国家です。ファシストを繰り返してはいけないと言う思いが強かったんじゃあないかなあ。この作品だけじゃあなく、僕の「壁の中の秘事」、「ゆけゆけ二度目の処女」、「天使の恍惚」も上映されたんです。受賞のせいで42年前のように国辱とは言われなくて済みました。ドイツで賞をもらって大きく報道されて、入場者が増えるといいと思っています。
―日本では国民の政治離れが激しいですが。
監督:政治離れをさす方向に国が動いているからですよ。その通りに踊らされて、誰も考えることをしない。これだけの格差社会が生まれたのに怒りを示さないでしょう。今は学校の机ですらバリケードで使えないようにビスで留めているそうですよ。

―この作品は群像劇ですが、例えば誰かにスポットを当てたこの後の物語、続編の企画はありますか。お話を伺って加藤兄弟の一番下の方に大変興味を持ったのですが。
監督:続編を作らないかと言う話は色々な人がします。もし続編を作るとしたら間違いなく主役は彼でしょう。長谷川は彼を主人公に本を書いてたんじゃあないかなあ。実は僕も最初の本は彼を中心に書いた。だけどそれじゃあ途中からになる。彼は山小屋から参加してるんでね。連合赤軍に至る歴史が描けないから止めたんです。ただどのシーンも、セリフはともかく最後はカメラがスーッと彼に寄って終わっています。後、個人的な思いから遠山にはスポットを当てていますね。まあでも活動をやりながらひっそりと生きている人が一杯いるんで、今回はそんな皆を描きたかった。あさま山荘の事件はテレビで90パーセント近くの視聴率だったから皆知ってるけれど、その前の事件と繋がらないらしい。
―上映はどんなところで。
監督:今まで差別され続けた所でかけたくない。原則として、昔自分の作品を上映してくれた所で上映します。テアトル新宿だけは、昔かけてないけれど、あの前に人を並ばせたかった。新宿でやりたくてね。後、先行上映が京大の西部講堂であります。(記載時には終了)運動のメッカなので、未だに心ある人間の胸に熱い場所なので、あそこでやってくれるというのは嬉しいね。

<インタビュー後記> 
 この作品は、事実を描きながら連合赤軍までの複雑な流れが解り易く示された、60,70年代の学生運動史でもあります。革命を夢見て暴走した彼らに伴走する様な、監督の思いを感じる作品でもありました。3時間10分の長尺の凄まじい事。坂井真紀さん扮する遠山が、総括と言う名目で、自分で自分を殴り続けさせられるシーンなど、辛くなって途中から観れない。加藤の長兄の死も、見つけた弟2人の慟哭が聞こえてきそうです。映画なのを忘れて、何故、如何してと問わずにはいれない、今更ながらの革命の結末でした。ただ、全体を俯瞰する群像劇なので、その答えや、ここにいたる個々の思いや葛藤は描かれない。本当はそこをこそ観たいけれど、それを求めたら映画が始まらなかったのだと思います。時代の混沌に捉えられ、本気で体の全てを共産主義化しようとした革命思想の狂気は、もしかすると安穏とした今の自分の足元すら揺らすもの。兄貴分として、若松監督がここまで肉薄した後は、当事者世代の監督たちの役目かもしれません。あの頃の総括は、この映画に触発された観客が自分でやるしかないのでしょう。
 ところで上映館の話で解るように、監督は親分肌の人情味溢れた方。ベルリンの帰りにアラブに立ち寄り、これをいち早く見せた元連合赤軍メンバーの話を、「つれて帰りたかった」といとおしむ様に話されました。映画の底流に流れる監督の父性的なこの思いが、死者たちへの鎮魂歌ではと思います。


   3/22(土)~テアトル梅田
   3/29(土)〜第七芸術劇場、京都シネマ
       (初日は監督の舞台挨拶の予定。時間等は直接劇場へ)
   4/26(土)~神戸アートビレッジセンターで上映
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

| | 2012年07月15日(Sun)11:10 [EDIT]


 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。