太秦からの映画便り

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映写室「いわさきちひろ~27歳の旅立ち~」海南友子監督インタビュー(前編)

映写室「いわさきちひろ~27歳の旅立ち~」海南友子監督インタビュー(前編) 
  ―どん底からの再出発―

 画家としてではなく、人間としてのいわさきちひろを、生前を知る多くの方の証言から浮かび上がらせたドキュメンタリーが完成しました。誰もが知る、いわさきちひろ。あのメルヘンティックな世界を描く画家に、こんな苦難の半生があったとは。どん底の日々に驚きながら、それでも負けずに立ち上がった彼女の強さに勇気を貰える筈です。自身も母親になったばかりの海南友子監督が、溢れんばかりの母性で子供を描き続けた作家に、共感を持って作り、答えてくださいました。

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(C)CHIHIRO ART MUSEUM

<主な証言者>
・黒柳徹子(女優。ちひろ美術館館長。自著「窓際のトットちゃん」の挿絵をちひろに描いてもらった)、高畑勲(アニメーション映画監督)、松本善明(夫)、松本猛(息子)、中原ひとみ(女優。知人)、三輪寛子(デッサン会の仲間)、編集者多数


<海南友子監督インタビュー> 
―知っているようで何も知らなかった、いわさきちひろの世界に驚きました。この作品にかかわるきっかけは?
海南友子監督(以下敬称略):私もいわさきちひろの作品には、子供の頃に触れただけで、その後ご縁がなかったのです。ところが4年ほど前に、この作品のエグゼクティブプロデューサーの山田洋次さんから、とあるところで偶然ご一緒した折に、「人間いわさきちひろのドキュメンタリーを作りたいんだけれど、興味がありますか?」と打診されました。山田さんはちひろ美術館の理事長をされているんです。監督として大先輩の山田さんとご一緒できるのは嬉しいのですが、いわさきちひろについては何も知らず、戸惑ったのも事実です。で、どうしようか。どう作ろうかと悩みました。まだこの時は、ちひろについてどんな人なのかというイメージが沸いてこなかったんです。とりあえず自分なりに調べ、彼女を知る人に、人となりを聞いてみると、私なりの気づき、この人面白いなあというのがありました。複数の人が、「鉄を真綿でくるんだような人だ」というんです。面白い表現で、外側はふわっとしているけれど、真ん中に曲がらないもの、芯のようなものがある人なんだなあと思いました。その時に聞いたのは従兄弟とかの親戚の人なのですが、子供の時からそういう感じがあったというんですね。そう言われてみると、確かに絵は可愛らしいけれど、人生は波乱万丈です。そんな中でも自分を貫き、諦めない強さのようなものをみせている。そういうのが面白いと思いました。

―山田さんが海南監督を抜擢されたのは?
海南:山田さんの奥様はドキュメンタリーがお好きで、たまたま私の2つ前の作品を気に入ってくださいました。とても小さな作品なのですが、山田さんに「面白い子がいるので、会ってみたら」と推薦してくださったのです。最初は、なぜ今、いわさきちひろなのかという思いがありました。でも、働く女性の大先輩ですから、そこら辺を知りたいと思って取材を続けました。ちひろは生きていればもう90歳を超えています。生前の彼女を知る人たちも高齢化しており、話を聞くのなら早くしなくてはいけません。2009年から取材を始め、50人の人に、一人2時間位ずつインタビューし、編集の段階で20人に絞りという工程を経て、この3月に完成しました。情景も四季折々に撮影し、テープはものすごい長さで、この作品に3年間かけたことになります。最初の間は、今なぜ、ちひろなのかという疑問が消えませんでした。単なる宣伝映画にはしたくありませんから。でも取材する間に、彼女の諦めない強さ、彼女の生きる強さは、今悩んでいる女性にも充分勇気を与える、意味のあることだと気がつきました。それは証言を聞けば聞くほど強くなった思いです。サブタイトルに「~27歳の旅立ち~」と付けましたが、これも私が拘ったところです。彼女の絵は日本人なら誰でも知っているほど有名ですが、そういう作家になったのも、27歳という遅い旅立ちだった。彼女は最初から画家を志したのではありません。最初の夫に死別し、戦争で全てを失います。仕事もなければ家庭もない。帰る家もなくした。自分を守ってくれるはずの親の立場もなくなった。そういう3重苦の中での出発でした。今の27歳と違い、当時はもっと小母さんだったと思うんです。しかも、もっともっと偏見の強かった時代のバツ一。それでも自分の夢を貫いた。しかもたまたま絵で大成しましたが、ここで立ち上がっても、もしかしたら成功とは程遠い、明日の食べ物もない状態のままだったかもしれません。それでも彼女は自分は絵を描きたいんだと気づくわけです。それまでも絵が好きではあったけれど、絵を仕事にしようとは思っていなかった。もし最後のすべてを奪った戦争がなかったら、彼女はもしかしたら、近所の絵の上手い小母さんで終わったかもしれない。そういう意味では、すべてをなくしたからこそ、彼女は立ち上がることが出来たと思います。しかもいつ始めても遅すぎる事はないということも教えてくれる。逆境の中でもへこたれずに続けていれば、ちひろのように成れる瞬間があるんじゃあないかと、そういう希望を提示したいと思いました。

―可愛い絵ばかりがイメージにあったので、最初のご主人の自死には衝撃を受けました。それも、結婚しながら、身も心も開かず相手を追い詰めて自殺に追いやったわけです。そういう波乱の人生も、山田さんはご存知だったのでしょうか?
海南:ええ。東京と長野にある、ちひろ美術館で、簡単な略歴をまとめたものがあり、公にされています。苦しい思いは、自分が被害者の時もあれば加害者の時もある。どちらも苦しいもの。そういう苦しい思いを経てきたからこそ、優しい絵がかけたのではないかと。 ただ、今回私が集めた資料を報告に行くと、山田さんがなるほどと納得されるものもありました。ある美術家に言われたのですが、改めて「纏まった50人の証言から浮かび上がるものの強さ」を感じます。

―ちひろさんの両親の戦争協力などは?
海南:当時は相当の文化人でもそういうことがあったようです。私は何も知らなかったので、知っていく面白さがありました。結婚したのに身も心も開かず相手を追い詰めて自殺に追いやったというのも、不思議な話です。普通だったら、その前に離婚や相手からの暴力沙汰があったりすると思うんです。でもそういうこともなく、相手を追い詰めていくわけで、相当ひどいことを相手にしている訳です。相手の行動もある意味不思議ですよね。発見する喜びが又次の発見につながるという、そういう繋がりでした。
―あまりにもプライベートで、そこのあたりの当事者の思いが解かるわけではありません。周りにしても、重い証言なので聞き出すのが大変だったのでは?
海南:ずいぶん前の話なので、証言することで誰かを傷つけるという話ではありません。そういう意味で大変さはなかったです。公表することについて、ご主人の親族からのクレームもありませんでした。ただ難しかったのは、すでにいない一人の人間を、多くの証言だけで浮かび上がらせることです。難しくてやりがいのある作業で、今回面白い体験をさせていただきました。山田さんも、多分御自分で想像されたよりも、深いちひろの素顔に出会われたのではと思います。編集の過程は相当悩みました。毎日が試行錯誤で1年くらいかけています。いっぱい議論もしました。山田さんもお忙しい中、何度も試写に付き合ってくださり、そのたびに議論です。息子さんの猛さんも加わってくださいました。

―構成はかなり山田さんの意向が反映されているということですね。猛さんもと言うと、ちひろ像について、三者三様でぶれることもあったのでは?
海南:そこは豊かな議論で解消しました。いいものを作りたいという志は一緒ですから。山田さんと同じ土俵に立って議論を戦わすのは、41歳の私にとって、とても新鮮でありがたく感じました。気がつくと周りは年下ばかりで、年上の方から教えていただくことや議論することがなくなっていましたから。いわさきちひろの絵のファンは多いです。単に宣伝にならないようにしたいし、去年311という大きな災害がありました。どんなメッセージを出すか、今迷ったり苦しんでいる人に、ちゃんと希望を与えるものにしたいと思いました。迷ったのはその方向の模索でもあったのです。ちひろはなぜ再出発をすることができたか。それは全てをなくしたからだと思うのです。震災や津波、原発で東北の人々も全てをなくしました。同じ様に全てをなくしたところから立ち上がった、ちひろを見て欲しいのです。
―山田さんにとってはじめて知ったということがありましたら。
海南:資料は全てちひろ美術館に残っていたものですが、今回発掘したのが、ご主人松本善明さんからのラブレターです。今まできちんと整理したものがなく、自分が光を当てれたと思います。リアルでべたべたで恥ずかしいほどのものですが、ご主人は今も白髪で素敵なおじいちゃん。ちひろも年齢よりずっと若く見える可愛い人だったので、二人は、まず外見に惹かれ、戦争への思いや社会への向き合い方という内面の豊かさも一緒で、惹かれあったのでしょう。1回目の結婚が失敗しているからこそ、2回目は本当に好きな人とと思ったのでは。(聞き手:犬塚芳美)
(続きは明日)

この作品は、7月14日より、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸で上映
      順次秋、京都シネマで公開予定
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