太秦からの映画便り

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映写室「ニッポンの嘘」長谷川三郎監督インタビュー(前編)

映写室「ニッポンの嘘」長谷川三郎監督インタビュー(前編) 
  ―報道写真家 福島菊次郎90歳―

 かって日本の嘘を暴き、一世を風靡した報道カメラマンがいる。御歳90歳の福島菊次郎さんだ。最盛期には月刊誌を中心に年間150ページを発表しながら、80年代にすべてを捨て、無人島で自給自足の暮らしを始めた。高度成長期の何でもお金に換算する世の中に嫌気がさしたのだそうだ。そして今、犬と二人で暮らしながら、いまだ消えないジャーナリスト魂。心のうちにたぎらせる、何を残せるかと言う思いは消えていない。伝説の報道写真家の仕事と、その日常を追った作品です。長谷川三郎監督にお話を伺いました。

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©2012『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』製作委員会

<その前に、福島菊次郎さんの仕事の一部>
1961年:広島の被爆者、中村杉松さん一家の10年の記録写真「ピカドン ある原爆被災者の記録」刊行。日本写真批評家協会賞特別賞を受賞
1969年:学生運動を取材した写真集「ガス弾の谷間からの報告」刊行
1970年:写真集「迫る危機:自衛隊と兵器産業を告発する」刊行
1977年:写真集「戦場からの報告 三里塚・終わりなきたたかい」刊行
1978年:写真集「原爆と人間の記録」刊行
1980年:写真集「公害日本列島」刊行
1981年:写真集「天皇の親衛隊」刊行
2003年:著書「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘」刊行
2005年:著書「写らなかった戦後2 菊次郎の海」刊行
2010年:著書「写らなかった戦後3 殺すな殺されるな」
2011年:震災後の福島を撮影

<長谷川三郎監督インタビュー>
―この作品を見るまで福島さんを存じ上げなかったのですが、すごい方ですね。
長谷川三郎監督(以下敬称略):実は僕も存じ上げませんでした。僕は1970年生まれなので、菊次郎さんが精力的に写真を取られた敗戦直後の広島とか、60~70年代という日本の戦後が大きく動いた学生運動や三里塚闘争を、リアルタイムで経験していません。福島さんはその頃にフォトジャーナリストとして、月刊誌でたくさんの写真を残されているんですが。でもお会いする前に福島さんの写真を見て、ショックを受けました。写真の中に自分の知らなかった日本や日本人を発見したんです。怒りをもって声を上げ、戦っている日本人の姿に、衝撃を受け体が震えるようでした。被災者の苦悩を知り、修学旅行で訪れる広島の足元にこんなことが埋まっているのかと驚きました。一方で、僕はドキュメンタリーの仕事をしているので、さまざまな現場で出会う人の声を、これだけ撮れるカメラマンと言うのは、どういう人なんだろうとご本人に興味も持ちました。ちょうど自分の仕事の方向性に限界も感じていたので、とにかく菊次郎さんに会ってみたいと思ったのです。

―それまでは隠遁生活のようだったのですか?
長谷川:80年代に突然メディアから消えて、それ以降消息が伝わってこなかったので、福島さんがいらっしゃることに、多くの方から驚きの声が上がりました。福島さんに対してはさまざまなイメージがありましたが、会ってみると社会的にまだ現役で、自分は何を残せるかと日々模索している。それにも驚きました。あれだけの仕事をした人なら、普通だったら90にもなったら、静かな老後の暮らしをしていても不思議はないですから。それと、お会いして、あんな写真を撮る人だと思えないような、柔らかい人柄で、僕は写真だけでなく福島さんの人柄にも魅了されたんです。ドキュメンタリーだと、放送枠が決まってから撮り始めるのですが、そういう予定がなくても、撮りたい。福島さんが撮ってきた日本と、福島菊次郎という人をドキュメンタリーで残したいと直感的に思いました。

―ご本人からの撮影許可はすぐに下りましたか?
長谷川:「僕のような独居老人を撮って絵になるのか?」と言われました。でも、福島さんの暮らしが僕にはとても豊かに思えたのです。自分のことは何でも自分でされます。食事も3食自分で作り、犬と一緒に暮らしながら、こんな中で自分に何が出来るかをいつも考えている。福島さんが撮ってきた作品の世界を紹介すると共に、そういう福島さんの日常を撮りたいというのが、この作品の裏のテーマでもあります。足掛け3年、2年間の密着撮影中に僕は色々なことを教えてもらいました。そういう僕のわくわく感も、映画を通してお伝えできたらと思います。

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©2012『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』製作委員会


―福島さんがこのお歳でここまでモチベーションを保てる秘訣は何でしょう?
長谷川:取材する相手から色々なものを受け取っているのでしょう。それを受け止め、その上で被写体との距離をきちんと取っているのがすごいところです。
―素敵な方ですよね。37キロですか。身体にも体重を感じないし、動きが人間とは思えない。異次元の行動に見えます。被写体の面前でまっすぐカメラを向けて、向けられたほうもまっすぐ睨み返している。すごいなあとその関係性に驚きました。
長谷川:僕がおぶって階段を登っているように、普段は足腰に危なっかしいところもあるのですが、鍛えているので、カメラを持つと野生動物のようになります。敏捷ですね。それに人間に対する距離感がすごい。福島の被災地に一緒に行った時も、すぐにはカメラを向けないのです。酪農家の長谷川さんの話をじっくり聞いて、被写体の苦しみに寄り添うようにする。この方はこんな風にして取材してきたんだなあと教えられました。

―福島にはご本人が行こうといわれたのですか?
長谷川:撮影の途中で福島の事故が起こりました。どう思っているか気になって行ってみたら、福島さんがテレビを食い入るように見ているんです。事故の直後は、体が動くならすぐにでも飛んで行きたい。でも、現地は混乱しているし、自分のような老人が行っても、迷惑をかけるだろうしと諦めていました。僕らもそれで良いと思ったんですが、本人は諦めきれず、福島の惨事を自分が今までに撮ってきた日本と重ねてみていたようですね。半年くらい経って、現地も大分落ち着いてきた頃、「福島に行くんだけれど、一緒に行かないか?」とご本人が言い出しました。「自分の仕事は敗戦後の広島で始まった。あの時の広島には、放射能で汚染され、しかも国からも切り捨てられて、のた打ち回る人々がいた。福島と広島は一緒だ。放射能に野ざらしにされている日本人が今ここにいる」と言っていましたね。広島には嘘で固めて捨て去られた人々がいっぱいいた。福島には、今の日本の嘘と未来の日本の嘘がある。又嘘が始まるんじゃあないか、そうなってはいけないと警鐘を鳴らしています。(聞き手:犬塚芳美)
<明日に続く>

この作品は8月18日(土)~テアトル梅田
     8月25日(土)~シネリーブル神戸で上映
            順次京都シネマでも公開


*なお、8月18日から、映画公開に併せ、大阪人権博物館で「福島菊次郎写真展」が開催されます

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