太秦からの映画便り

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映写室「先祖になる」上映案内

映写室「先祖になる」上映案内
―岩手県陸前高田市のもう一つの物語― 

 中国残留日本兵の悲劇を描いて大ヒットした「蟻の兵隊」の池谷薫監督が、震災から一月後の陸前高田市を舞台に、もう一人の魅力的な老人にスポットを当てました。前作に続いて、私達はそこに、頑固で筋の通った一人の男の生き様を見せ付けられます。まさに、ディスカバージャパン! いつも間にか映画は、震災を超えて、一人の人間の生き様を追うのでした。

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 <陸前高田市は>、津波が押し寄せる市庁舎で、最後まで避難勧告を放送し続けた若い女性職員の物語で有名になったところです。テレビでも当時多くの映像が放映されたし、毎日放送のドキュメンタリー映画、「生き抜く」もここが舞台でした。

 <そして、この作品が映すのは>、同じ町ながらもっと山沿いの集落。主人公は農林業を営み、仲間から“親分“と慕われる、80歳を目前とした佐藤直志さんです。直志さんの家も2階の床まで浸水しました。でも倒れることは無かった。気仙大工の力だと直志は誇ります。しかし、消防団員の長男は、老婆を背負ったまま津波に飲み込まれました。

 <最初は息子さんの遺体の捜索>が目的だったのでしょう。皆が避難所に行く中、奥さんとお嫁さんの3人で、不便な自宅に住み続けた直志さん。市役所の職員が、避難所に行こうと誘いに来ても動く事はありません。避難所では炊き出しがあります。ずいぶん楽なのに、薪を拾って、塩水に使った米を川で洗い、煮炊きしながら「あんなところに行くと貰い癖ができる。ここに残って自分の力で生きる」と言うのです。きこりなので、今までも山に篭ればいつも自給自足。人間は水と火と木があれば、何とか生きていけるという自説を、実践するような暮らしでした。

 <時は移り>、妻も嫁も仮設住宅に移りますが、直志さんは一人瓦礫の中の一軒家に住み続けます。毎日仏壇に供えるお茶と祈り。そして、決心する。もう一度ここに家を建てよう。皆がいつの日かこの町に戻ってくるよう、自分が先陣を切ろうと。

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 <直志さんは山に入っては>、この木はあそこに、この木はあそこの柱にと、木の特質を見ては決めていく。その姿はまるで後を託す若者に、技術を教える過程のようでもありました。
復興は遅々として進みません。役所と掛け合い、しぶしぶながら建築を承諾させ、やがて、まだ回り中が震災の跡地の中で、木の香も新しい家が完成しました。この家でも毎朝、淡々とご先祖様にお茶を備える直志さん。津波で家を流されても、この老人の生き方は以前のままでした。
「家が流されたら又建てればいい。この地で自分たちは先祖になる」とは、なんと淡々とした、しかし覚悟のある言葉でしょう。

 <昔、福島に住んだことのある池谷監督は>、震災後に何かをせずには居れず、支援物質を運びます。そこで運命的に出会ったのが佐藤直志さんでした。一目で惹かれ、映画監督の自分に出来るのはカメラを回すことではないかと気づき、直志さんを追いかけ始めたのです。
直志さんも又、この生き様を見よという風に、池谷監督に自身をさらし続けます。きこりとしての技術の伝承の意味もあったのかもしれません。枯れながら色っぽい直志さん、癌に侵されている80歳近くのこの老人には、私利私欲は見えない。飄々とこの地の先祖になる覚悟を示し、後に続く若者の心を揺さぶるのです。

 <池谷監督は>、「僕はドキュメンタリーといっても仕掛けていくタイプだけれど、今回はそういう気になれなかった。被災地でそういうことが許されないというのもあるけれど、それ以上に佐藤さんが僕の予想を超えていたのです。よくこういう人に巡り会えたなあと色々な人から言われるけれど、長い間こういう仕事をやっていると勘が働く。僕の作家性でもあるし、出会わされたのかもしれません。支援物質を届けた時、今度お花見をやると聞かされて、こういう時でも、そういう毎年の楽しみを続ける人たちに興味を持って参加したら、佐藤さんがいました。又、佐藤さんを支える一世代下の菅野さんとも巡り会ったんです。二人に出会ってすぐ、この人たちを撮りたいと思いました。

 <佐藤さんは被害者ではなく>、生活者の俺を撮れという風に、自分の行動の予定を教えてくれました。佐藤さんの中には、私たちが無くした何かがあります。懐かしさを覚えるのはなぜだろうと思いながらカメラを回しました。この地の先祖代々の営みが生きる知恵となって、こういう状況でも立ち向かえる佐藤さんたちを作ったのでしょう。

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 <自宅の再建に使った木は全て杉で>、塩水に浸かったため、もう切り倒すしかなく、用途もチップスにしかならないといわれたものです。でも佐藤さんは、長年の経験から、いや、まだこの木は建材として使えると感じた。それを実践したかったのもあるのでしょう。きこりとして木の命を全うさせたかったんだと思います。根元にまたがって木のねじれを見ながらどこに使うか決めていく。そういうのを若い人たちが食い入るように見ていました。年代の離れた両者に、もともとここまでの結束があったのかどうかはわかりませんが、きっかけはお祭りでした。例年通りお祭りをやろうということになり、木の切り出しや藤の枝の細工で、若い人が佐藤さんの知恵を目のあたりにします。地元の組織が消えていく中、佐藤さんの思いが乗り移ったかのように地域の再生を口に出す若者たち、感動的でした。

 <そうは言っても>子供の学校の問題等があって、若い世代がすぐにここに帰ってくるのは難しい。この後で、菅野さんも家を建てたりと、数軒が再建されましたが、まだこの地域はがらんとしています。町の再興には、文字通り「先祖になる」覚悟の長い時間が必要かと思います。それでもも、佐藤さんも菅野さんも淡々と諦めないんだろうなあ。この地域は昔から出稼ぎの村で、田舎ながら進取の気質に富んだ特別な人々の集団だったのだそうです。そういうこの土地の伝統の力もあるんでしょうねえ」(聞き手:犬塚芳美)

*この作品は、第37回香港国際映画祭・ドキュメンタリー・コンベティション部門で、最高賞のファイアーバード賞を受賞しました。 

 4月6日より、第七芸術劇場、京都シネマで上映中、
  5月4日から元町映画館で上映。
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