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太秦からの映画便り

子供以上大人未満の少年の痛々しい心

映写室 NO.146 パラノイドパーク    
     ―日常が変わった事件―

 16歳のアレックスは、(僕は普通だった。あの事件が起こるまでは…。)と呟く。あの事件とは何か。始めたばかりのスケートボードに夢中で、もっと上手くなりたかっただけなのに、ふとした偶然から誤って人を殺してしまうのだ。どうしてこんな事が自分に起こったのかと震える彼が、そのまま自分に重なり背筋が凍った。私だったらどうするだろうと考えても答えは見つからない。子供以上大人未満の少年の痛々しい心を描いて、2007年のカンヌ国際映画祭で60周年記念特別賞を受賞しています。

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(C) 2007mk2

 <映画は草原のベンチで何かを書いている>少年を映して始まる。カメラがロングに変わるとそこは郊外で、町の手前の大きなつり橋のミントグリーンが美しい映像に被さる音楽はニーノ・ロータ。ピアノの旋律も軽いジャズ調で、最初のシーンだけでこの作品のセンスを確信する。実際エンドロールの男性ボーカルまでの音楽が絶妙のバランスで続き、最初から最後まで全てにおいてセンスのいい作品だった。音楽も映像も今の匂いを含みながら何処かふわふわと現実を離れ美しい。透明な空気感が少年の精神世界と繋がっていく。
 <舞台になるのはアメリカ、オレゴン州>のポートランドという、都会と田舎が共存する地方都市。原作はこの町出身のブレイク・ネルソンで、ガス・ヴァン・サント監督もポートランドを拠点に映画を作っており、公募で選ばれた主演のゲイブ・ネヴァンスもこの町の高校生と、この作品に関わる多くの人がこの町で暮らしている。そんなところからも漂うこの町の空気感も映画の大切な要素だ。そこに滑り込むちょっと異質な伝説の公園を鍵にして、思春期の若者の揺れる心がリアルに描かれる。

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 <脚本も巧みで>、構成は少年が父親に手紙を書く形で、自分に起こった事件を少しずつ告白する形をとっている。ここでは便宜上最初に書いてしまったけれど、平凡な一人の少年に起こったおぞましい事件は、やっと中盤で解かることになる。それまでは彼の日常を追い瞳に影を落とす憂いが何なのかは探りきれない。事件と思春期の憂いがオーバーラップしていく。私たちの日常で何か事件が起こって、周りがその真実にたどり着くまでの過程と一緒だ。
 <アレックスは友人に誘われ始めて>「パラノイドパーク」に行く。ここは治安が悪いけれど上手いスケートボーダーが集まるので有名だ。週末にも行こうと約束するが、友人は彼女と旅行で一人になった。ぼんやりしてると不良グループに誘われ、一緒に貨物列車に飛び乗る遊びをしてると、警備員が走ってきてこん棒で殴られる。危ないからボードで振り払うと警備員が転び、ちょうどそこに列車が入って来た。…こうして事件が起こりアレックスの日常はひっくり返ったのだ。といっても表面的にはそんなに変わりがない。激しく動転したあの夜を忘れたかのように、家や学校では平然としている。心は別の時空をさ迷い始めたが、とりあえずは生きる為にも平然を装う以外方法が無かったのだ。

 <彼の両親は離婚協議中で>父親は家を出ていて、ストレスからしょっちゅう食べ物を戻す繊細な弟と母親の3人で暮らしている。あの夜だってそんな事情や、彼の気持ちなどお構いなしで早く処女喪失をしたいだけのガールフレンドの事等、未来の見えない自分に鬱々としていたからこそ、不良の誘った遊びに乗ったのだ。それでなくても思春期は、大人と子供の狭間で自分でもどうしたら良いのか解らない混沌の中にある。父は家を出る前に何か相談があれば力になりたいと言ったけれど、あの夜電話しながらコール音の途中で切ってしまった。ガールフレンドや友人に話そうにも何かが違う。(早く人を呼ぼう!)とあせりながらとうとうそれが出来なかったあの夜のように、誰にも相談できず自分でもどうしたら良いのか解からないまま、ずるずると日常が進んでいくのだ。

 <このあたりの戸惑いを宗教画の天使のような風情の>ゲイブ・ネヴァンスが、大きな瞳をこちらに向けて静かに表現する。まるで見えない未来を探しているようだった。この少年にこんな秘密があるなんて、誰に想像できるだろう。事件が起こるとよく両親や先生が「子供の苦悩に気付かなかった」とコメントするけれど、幸運にも無事に大人になる者でさえ、危ういトンネルを抜けるのが思春期だと思う。事件が決して彼の悪意ではなく、整備員の過剰さや不運や過失等を含むだけに、思わず逃げ出した気持ちも痛いほどに解かる。こんな事態になったアレックスが哀れで、運命の過酷さや思春期の曖昧さを思わずにはいられない。
 アレックスは全てを綴った後で>、父親に見せるだろうか。いつか誰かにこの話をするのだろうか、警察は彼を逮捕するのだろうか等々映画では全てが曖昧で答えを見つけられない。アレックスに原作者や監督の思春期の姿が重なる。事件はともかく、こんな重さを持って思春期を潜り抜けた者が、作家になるのだろう。一人の美しい少年を通して、思春期の惑いを痛々しいほどにリアルに描いた作品です。(R-12)


    4月19日(土)よりテアトル梅田にて上映。
    5月、京都みなみ会館、続いてシネカノン神戸にて上映予定


ディープな情報
 劇中で使われるパラノイドパークは、実際にはバーンサイド・スケートパークと言ってこの物語の舞台のオレゴン州ポートランドにある。麻楽の蜜売人や娼婦がたむろする危険な場所だったが、スケーターたちが勝手にセメントを流し込んで、つまり違法に作った。サイケな落書きの中スケーターたちが、うねり、円形トンネル、段差等を自由に滑って誇らしげに見せるパフォーマンスは、日本の若者にも火をつけそう。ボード1枚でしかも都会で遊べるスケートボードは、エネルギーをもてあます若者の格好の自己表現なのだと気付く。世界中のスケーターたちの憧れの公園でもある。
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コメント


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今晩は

この少年の表情・仕草が、とても自然で魅力的なわけが、文章を読んでわかりました。
>この作品に関わる多くの人がこの町で暮らしている。そんなところからも漂うこの町の空気感も映画の大切な要素だ。
わざとらしさを売りにする映画もありますが、この映画のような内容の時は、「違和感のない生活感」というのが、とても大事な気がします。

>幸運にも無事に大人になる者でさえ、危ういトンネルを抜けるのが思春期だと思う。
この言葉が、とっても気に入りました。

大空の亀 | URL | 2008年04月16日(Wed)20:36 [EDIT]


丁寧に読んで下さってコメントを有難うございます。自分を振り返っても、自意識に内実が追いつかず、自我が空回りする思春期は、傷つきやすくて何が起こっても不思議ではなかった。欧米の肉体が発達しすぎた社会では(この主人公はそうではないけれど、周りはそうかも)主人公が子供に戻って自分に起こった総てを父親に綴る姿が、ほっとさせて印象的な作品です。この事件はともかく、警察に捕まっても捕まらなくても彼は軌道修正して生きていけると思える。それでもこのままでは心の傷がふか過ぎていきにくいのだろうか。打ち明けられたら父親はどうするだろう、私だったらどうするだろうと、いろいろ考えさせられました。自首して・・という正論以前にそんな事を考えて、其処で止まってしまって。

映画のツボ | URL | 2008年04月17日(Thu)23:43 [EDIT]


 

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