太秦からの映画便り

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映写室「標的の村」上映案内

映写室「標的の村」上映案内 
 ―全国ニュースから抹殺された、沖縄のもう一つの物語― 

 SLAPP裁判とは、国策に反対する住民を国が訴える裁判です。力のある団体が、声を上げた団体を訴える弾圧・恐喝目的の裁判を、アメリカではSLAPP裁判と呼び、多くの州で禁じていますが、そういう裁判が沖縄で起こりました。

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©琉球朝日放送

「オスプレイ」の着陸帯建設に反対して座り込んだ住民を、行政が「通行妨害」で訴えたのです。訴えられた中には現場にいなかった6歳の少女も含まれていました。この珍事件の意味するものは? 全国放送から抹殺された沖縄の現実を、地元琉球朝日放送が取り上げました。その反響の大きさで、今度は全国の劇場に問いかけます。三上知恵監督に撮影秘話等を伺いました。

<舞台になるのは沖縄北東部の東村・高江区です>人口160人あまりの、ヤンバルの森に囲まれた長閑な山村ですが、戦後、村を囲むように、7800ヘクタールという国内最大の、米軍のジャングル戦闘訓練場に囲まれてしまいました。いつもは鳥のさえずりのこだます静かな村も、ひとたび米軍の訓練が始まると、上空には巨大なヘリが飛び交い、耳を劈くような騒音に包まれます。

<それでも人々は自然と共存し>、自給自足で豊かな暮らしを続けてきました。物作りの人が集まりやすい環境で、安次嶺現達さん、通称ゲンさんも、この森に魅かれて10年ほど前に家族で越してきました。自分で家を建て、自家製の新鮮な野菜と釜焼きパンを売り物に、そこでカフェを営み、6人の子供と楽園のような暮らしを続けてきたのです。そこに降って沸いたような、高江の周りに6つのヘリパッドが新設されるという話。そして、死亡事故の多い垂直離陸機・オスプレイも配備されるという話でした。

<2007年1月22日>、今まで運動とは無縁で静かに暮らしてきた高江の人々が驚愕し、那覇防衛施設局に抗議をします。局員の返事は「米軍の運用に関しては日本側は関与できない」という突き放したものでした。再三の反対決議もむなしく、一方的な工事通告がされます。(ヘリパッドが出来たらもうここには住めない。首長は基地反対を訴えて当選しても、複雑な経済構造を知ると時を経ずして容認に変わっていく。どこに訴えても誰も助けてくれない。自分たちの村は自分たちで守るしかない)と、この年の7月2日から、住民による座り込みが始まりました。

<8月21日、防衛施設局が工事にやってきます> 腕を組んでいく手を阻止する住民たち。飛び交う罵声。とうとうこの日は中断して施設局が帰っていきました。しかし、程ない2008年11月25日、現場での座り込みが「通行妨害」にあたるとして、国が仮処分を申請します。ゲンさん一家は、ゲンさんだけでなく妻や現場にはいったこともないまだ7歳の少女海月ちゃんまで訴えられました。2009年12月11日に15人のうち13人の処分は却下されましたが、住民の会の代表の伊佐真次さんとゲンさんには「通行妨害禁止命令」が出され、本裁判に発展してしまいました。皆は動揺します。反対運動を萎縮させる、これこそSLAPP裁判の狙いでした。「これは見せしめのようなもの。なんとしてもひっくり返したい」皆の思いでした。

<米軍ヘリには日米どちらの空港法も適用されません> 民家や学校の上空もかまわず飛び、夜間は集落のわずかな明かりを目印に旋回します。
高江は周りを訓練場に囲まれ、かっての自分の家のお墓にもいけません。訓練場と民家の間にはフェンスもなく、兵士が突然庭先に現れたこともあります。まるで標的にされているようだと感じる住民は多いのです。かってここは、米軍がベトナム村を作り、実践直前の襲撃訓練を行ったところでもありました。

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©琉球朝日放送

<1964年9月9日地元紙「人民」には>、地元の高江区民がべトナム人の役で米軍の訓練に借り出されたと記述があります。この記事を書いた元記者の知念忠二さんは「当時の米軍がひどかったのは皆知っているが、陸の孤島だった高江やジャングル戦争訓練場のある地域で米兵がやったことは、私たちの想像を超えるものだった」と証言します。
でも、それを声高に言う住民はいない。本土からは遠く、援助もない隔離された土地で、実際に道を作り助けてくれたのは米軍。あれこれ言うよりは口をつぐんで基地と共存することを選んできたのでした。

<それでも、「オスプレイ」の配備は容認できない> 住民が自分たちの暮らしを守るために、腕を組んで体で阻止しようとした時、住民を排除しようとしたのは上から命じられた地元沖縄の行政機関や警察。本当の敵ははるか後ろに下がって、沖縄住民同士が対立し争っています。

<2012年9月29日、「オスプレイ」強行配備の前夜に>、沖縄の人々の怒りが爆発しました。普天間基地のゲート前に、身を投げ出し車を並べて22時間にわたって完全封鎖したのです。真っ先に座り込んだのは、沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちでした。
辺野古を取材していて、次は高江だ、背後には「オスプレイ」の配備があると、直感的に分かりました。だからこちらも続けて取材していました。復帰後40年たっても、なお沖縄の苦しみは続いています。全国放送では抹殺されたニュースですが、これをこそ伝えたいと、私たち地元テレビ局が動きました。(三上知恵監督談)

この作品は、8月31日から第七芸術劇場、
9月7日から京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開。
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