太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

柴田剛監督の問題作が大阪で凱旋上映

映写室「おそいひと」監督インタビュー(前編)
     ―柴田剛監督に伺うこの作品の誕生秘話―
 海外の映画祭で絶賛されながら、障害者の犯罪を描いた過激さから日本国内での公開が決まらなかった問題作「おそいひと」が、とうとう舞台になった地元大阪での上映まで漕ぎ着けました。単館のレイトショーから始まって、拡大上映のロングランにまで持って行った東京興行で勢いをつけての凱旋です。監督の柴田剛さんにお話を伺いました。

osoihito-kan.jpg

<その前に「おそいひと」はこんなお話>
 ボイスマシーンで会話する住田雅清(住田雅清)は、重度の脳性麻痺を持つ身体障害者だ。電動車椅子で移動し、サポートを受けて一人で暮らしている。介護のバンドマン、タケ(堀田直樹)とは友達みたいなもので、一緒に酒を飲んだりとつるんでいる。ある日、大学の卒業論文の為に介護を経験したいと言う敦子(とりいまり)が現れる。住田の何かが蠢き出して、怒涛の結末へと走り始める。

<柴田剛監督インタビュー>
―健常者の思い上がりや傲慢さを思い知らされたりと色々痛いところを突かれて、観終えてすぐは言葉も出なかったのですが、この作品はどんな状況から生まれたのでしょう。
柴田剛監督(以下監督):この作品は8年位前に撮ったもので、僕は大学(大阪芸術大学)を卒業して1,2年目でした。卒業制作で「NN-891102」と言う作品を作ってあちこちもって回った後で、自主制作映画の作り方を探っていた頃に、この企画が来ました。
―ご自分の企画ではないのですか。
監督:ええ違います。映画を撮りたくて模索していた時にテーマが入って来た。僕の映画作りはいつも仲間と一緒に、たいてい5人位でイメージを膨らませていく方法です。住田さんの介護者をしていた大学の先輩、この映画のタケにあたる立場の人から、「住田さんと言う面白い人がいる。毎日仕事と言う名の飲み会やで」と聞かされました。僕は音楽をやってて、仲間に時間が自由になる介護の仕事をしてる人が多かったんです。でも撮らないかと言う話を、一度断ってるんですよ。「僕は障害者じゃあないから」と言って。
―難しいと思われたと。
監督:まあちょっと躊躇がありましたね。でも住田さんに会ってみると魅力的で、この人なら引っ張って行ってくれるだろうと思い直しました。当時は介護保険が出来る前後で、ヘルパーと介護される人には相性があるのに、国にコントロールされるのはおかしいと、障害者が抗議していた時期なんです。障害者の立場で言うと、ヘルパーは下の世話から3度の食事までお世話する生活密着型の、いわば友人以上仕事未満の関係なのに、資格が必要になって云々言うのはおかしい。どうして国が介入するんだと、この映画にも登場する福永さん等があちらこちらで訴えていました。そんな時代背景や提起されたテーマ、障害者と言うと差別は避けて通れません。人が生きるうえで差別はつき物で、大きなテーマなんで、映画でそこにちゃんと向き合おうと思いました。

―そうして走り始めたと。
監督:映画作りにはお金がいるんで、話を神主さんに持っていって、380万お金を出してもらいました。差別についての歴史や色々な話を伺ったりもしましたね。でも僕らも若くていらない機材を買ってしまったり生活があったり、あっという間にお金が無くなって、途中で頓挫してそのままになっていたんです。辛かったですね。住田さんにも頑張ってもらったし何とか完成したいけどどうにもならない。2000年頃の関西はひどい不況で、ワーキングプアと言う言葉も無い頃ですが、本当に仕事が無かった。スーパーの下ごしらえのアルバイトすら、雇う方は僕らより主婦のほうが便利だったりで。住む所もなくて、2年間あちこち友達の家に転がり込んだりとかして、ひどい時には1日100円で暮らすような、履歴書に張る写真代が無いような生活をしました。

―でもこれの製作はシマフィルムですが。志摩さんとの出会いはその後ですか。
監督:そうなんですよ。何処にも拾ってもらえそうもない映画を作って、仕事もなくてと腐ってたら、学生時代の友人が自分たちのライブのドキュメンタリーを撮れと声をかけてくれて、撮ったんです。その打ち合わせの時に舞鶴の人がいて、「柴田君は映画を撮るらしいなあ。舞鶴に志摩さんという映画に出資する人がいるから会ってみたら」と教えてくれたんですよ。早速借金をしてそれまで撮った分のテープを持って舞鶴まで飛んで行きました。一緒に食事して話したんですがその後半年位返事が無くて、(駄目だろうなあ)と思ってた頃に、あ、その頃は僕はもう関西を諦めて東京に行ってたんですが、東京に志摩さんが来ると聞いて、もう一遍と思ってピアのスタジオを借り、「NN-891102」を観てもらったんです。お金は無いけど自分も映画監督としての矜持がある。スクリーンで観て欲しいと思ったんですよ。そしたら志摩さんが「面白い。帰ってあのテープも見る」と言ってくれて、そこから「これいけるで」と返事を貰って、「企画書を出せ。お金は何ぼいる」と言うから、自分の抱えてた借金も包み隠さず「これがあったら気になって映画が作れない」と全部差し出したら払ってもらって、完成に漕ぎ着けたんです。
―凄い出会いでしたね。実は独特の痛さを追求するシマフィルムの作風が好きなんです。
監督:(色々シマフィルムのパンフを並べて)これでしょう。その話が丁度「ニワトリはハダシだ」のクランクインの頃で、志摩さんからそれのメイキングを撮れといわれたんですが、「自分の作品に集中できない」と断ったんですよ。完成したのを観て(この現場にいたかったな、撮ればよかった)と後悔しました。今回東京の興行が良いと、「まだ続く。はいっとるんや」と志摩さんから電話があるんですが、「嫌なんか!」と一人で突っ込んでます。
                           
osoihito-1.jpg

―そんな風に苦労して完成させても公開までに時間がかかりましたね。海外では好評だったのでしょう。こんな設定に住田さんの反応は如何でしたか。
監督:日本の反応と一緒です。良いと言う人と、障害者が犯罪を犯すという一種アンタッチャブルな所に突き進んでいるので、偏見を生むという人もいます。こんな人を主役に据えるのが偽悪的だとも言われました。住田さんは元々俳優さんなので、基本的に僕に委ねてくれて、状況を面白がっていましたね。例えば横断歩道を渡る時でも、向こうから障害者が来たら、何がしかの緊張を持って信号待ちの間は見れても、すれ違う時にはたいていの人が目を逸らすでしょう。彼らは何もしないと当然のように安心感を持っている。どうして障害者が安全だと思うのか。その辺りも弄りたかった。実は最初の編集ではもっと長かったんです。僕がナレーションで住田さんの感情を入れた、笑いあり涙ありのものだった。でもちょっと散漫だから切ってしまえと83分にした。そしたらそれを観た住田さんがホラーだと言うんですよ。前の方が良いと。で僕が、「流れに沿って話を深めていくと、使えない肉体を使って人を傷つける方向に加速するんだから、覚悟して下さい」と言いました。ロッテルダム映画祭に住田さんと一緒に行ったんですが、映画好きの人が集まるところでお披露目して拍手を受け、生で手ごたえを感じてからは僕の味方になってくれた。今は宣伝等色々協力してくれてます。映画の中の住田雅清は住田さん自身でもあり、半分は監督の僕です。         (続きは明日)

    この作品は4月26日(土)より大阪第七芸術劇場で上映。
        監督や主演挨拶等のお問い合わせは(06-6302-2073)まで
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

この作品の過激さを噂には聞いていました。映画を作りたい思いだけで此処までの苦労を重ねられるのも若いからでしょう。これからも頑張ってください。お名前をしっかり記憶しました。観ようと思います。

素浪人 | URL | 2008年04月23日(Wed)09:46 [EDIT]


痛いところを突かれて、ちょっと辛い映画でもあります。でも真実だし、果敢に問題提起する姿勢が凄い。若い頃でも私だったら此処まで好きなことにまい進出来ただろうかと、考え込みました。これからも映画を撮り続けていただきたい監督です。時間作もインタビューしたいと、思っているのですが。

映画のツボ | URL | 2008年04月23日(Wed)21:26 [EDIT]


 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。