太秦からの映画便り

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今夜、列車は走る

映写室 NO.148 今夜、列車は走る    
―アルゼンチンで鉄道民営化のあおりを受ける男達―

 今の日本の、高齢化へと歯止めのかからない人口構成や、増え続ける膨大な額の赤字国債、国家予算の多くをその利息の支払いに当てている現状等を考えると、たまらなく不安になる。未来はどうなるのだろう、こんな事がこのまま続けば、この国は潰れると真剣に思う。自殺者は未曾有の数字だし、不況の足音もひたひたと聞こえだした。そんな社会に住んでいるからこそ、この物語の5人の鉄道員の苦悩がリアルなのだ。20世紀末のアルゼンチンの小さな町を舞台にした悲劇に、知らず知らず未来の日本を重ねてしまう。でも僅からだけど、そこに突破口が描かれているのが救いだ。

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 <舞台になるのは鉄道を中心に栄えた小さな町だが>、国有鉄道の分割民営化のあおりを受けて、路線が廃止と決まった。給料はもう2ヶ月も遅配で、悲観して自殺する者が後を絶たない。鉄道一筋だった主人公の5人の男は、組合長の指導でしぶしぶ辞める事態に。町を凄まじい不況が襲い、次の仕事は中々見つからない。病気の息子を抱えるダニエル、娼婦といい仲のゴメスと、それぞれに事情があった。生きる為に我慢を重ねるが、誇りや夢を失い、食べるに事欠き、貧しさから家族関係もギクシャクし始める。

  <…と、この映画の中高年の男たちに>のし掛かる現実は、書いていても辛い。私の年齢で観るとなおさらで、男の立場で見ても妻の立場で見ても、誰もの事情が身に詰まされるのだ。それまで一生懸命に目の前の仕事に総てを捧げていたから、急激な社会の変化についていけない。そんな無骨さこそが社会を支えてきたと言うのに、非常時にはそれが足枷にこそなれ何の役にも立たないのだ。親切面をしながら仲間を裏切り、一人会社から応分の報酬を得る組合長のような要領の良い男もいるが、取り残され苦境に立たされるのは、何時も底辺で生きる者。実直にこつこつと社会を支えて来た者だった。
  <妻もそんな事は解かっている> でも労わろうと思いながらも、やっぱり自分の不安に負けて、社会への不満を夫に転嫁し、苛立ちをぶつけてしまうのだ。狂い始めた人生の歯車はなかなか元に戻せない。そのあたりの細かい心理描写が丁寧にされている。

 <それでも、息子を残して自殺した仲間と違い>、この5人は抵抗もせずに絶望する事は無い。混沌の中で何とか生きようとする。そこに僅かな希望が見えた。
定年間近だった整備士のブラウリオは、現場を離れたくないと工場に住みつく。がらんとした工場跡で、猫を相手に暮らすブラウリオの意地も、身に詰まされるのだ。(この年でいまさら何処に行けるというのだ)とでも言うような、諦めと覚悟が暗い画面から伝わってくる。この後彼はここで孤独死するのだけれど、これも一種の自殺のようなもの。最後まで鉄道マンとして生き、一人で職場を守った彼を思って慟哭する仲間の嗚咽が重い。もうこうなったら、誰もが鉄道マンの記憶を封印して、前に進むしかないのだ。彼の死はそんな覚悟を仲間に施したとも言える。
 <息子が病気なのにお金が無いと妻になじられ>、ふてくされた表情を見せても、陰では必死で仕事を探すダニエル。まだ若い彼は、妻の為にも息子の為にも、ここで逃げ出す訳にはいかない。もちろん、一家の主としての自分の自尊心もあった。新しい仕事の為にこっそり銃の練習をするから、この社会情勢だもの、観客はよからぬ想像をして心配するのだけれど、終盤に強盗に入ったゴメスと鉢合わせをして、ガードマンだったと解る。隠さなくてもいいのに、鉄道以外の仕事をするのが、ダニエルにとっては身を切られるほどの屈辱だったのだろう。

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 <その彼と鉢合わせをして修羅場を迎えるゴメスだけれど>、食い詰めた挙句だった。「お金は要らないから来て」と伝言してくる娼婦の恋人がいても、もちろんそんな事が出来るわけもなく、独りぼっち。ゴメスとブラウリオと言う、この中では高齢の、男らしい生き方しか選べない2人が、結局現状を打開できずに死を迎えるのが、なんともリアルだった。2人の男らしさに惹かれながらも、やっぱりここは「面子や意地なんてどうでもいいのよ、そんなものを捨てて生きて」と言うしかないのだ。
 <これ以外にも身に詰まされるエピソードが続く> 働きに行く妻の陰で、前に進めないまま自分で出来る事を探しているうちに、どんどん家を壊してしまうカルロスの、平静を装う影のあせりも痛々しい。皆、生活以上に自分の尊厳を守る事が生きる砦だった。

 <生きる為に現状に蠢く大人だけでなく>、そんな姿を見る若者たちも苦悩していた。自殺で父親を亡くしたアベルと、カルロスの娘とそのボーイフレンドは、自分たちで出来ることを考える。ここには、大人にも自分たちにも希望が無いのだ。この重い空気を取り去りたい、皆を元気つける事はないかと考えて、ある夜、題名にもなっている「今夜、列車は走る」と事を起こして、鉄道員の家族ならではの誇りを示す。
 こんな事で現状が変わるとは思わない。でもガタゴトと走る列車を見る誰もの顔が輝いているじゃあないか。やっぱりこの町は鉄道が命だったのだ。それがあった事を思い出し、誇りを忘れないで未来を夢見れば、必ず突破口はあると若者はおしえる。そんな若者から元気を貰って、この町の男たちも、諦めずに明日を目指せると思える。この映画に映っているのは、年上の世代の重苦しい現実と、それすらも跳ね返せる可能性のある若いエネルギーだ。でも、その若者の行動を引き起こしたのは、生きようと必死になる大人がいたからなのも忘れてはいけない。

 <このところ若者に頻発する硫化水素自殺は>、個人の絶望感だけでなく、社会の閉塞感が加担しているのだろう。でも、未来は変えられる。絶望的な状況でも、誰かと話せばきっと未来への突破口は見つけられると、この映画は教えてくれる。彼らのように、若さの可能性を信じて欲しい。

  この作品は、5/3(土)より、第七芸術劇場で上映
          5/10(土)より、神戸アートビレッジセンター、
                    順次、京都シネマで上映


ディープな情報
 鉄道によって国を発展させたアルゼンチンは、この物語の背景になる91年からの鉄道の分断民営化で、およそ60000人が失業したと言われる。当時は5000%もに達するすさまじいハイパーインフレで、メネム大統領はそれの打開の為に、1ドル=1ペソの固定相場を打ち立てた。一方親米的な立場で新自由主義経済を推し進め、鉄道を始め、石油、郵便、電気、ガス、水道を次々民営化する。又、規制緩和で外資を呼び込み、経済発展を図った。
 この政策で一時は持ち直すが、アルゼンチンは実はこの物語の後でもっと大変な事態になる。上記の政策の結果、失業率が20%にも上がり、貧富格差が広がって、通貨の固定相場も災いし輸出産業が大打撃を受け、経済が急速に悪化するのだ。
 挙句にすさまじいデフォルトで国債は紙屑同然になり、国際的な信用を失墜させる。こうして、新自由主義の優等生とまで言われた、南米では珍しい中流国だったアルゼンチンが最貧国になり、暴動が勃発して国情も悪化していく。ここにあるのはその前夜の物語だけれど、何と今の日本と似ている事か。一時「このままでは、アルゼンチンのようになる」と言われたものだけれど、あの頃よりもっとそうなっていると資料を読んで思った。
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