太秦からの映画便り

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最高の人生の見つけ方

映写室 NO.149最高の人生の見つけ方
     ―余命6ヶ月と宣告された二人の男―
 体調を壊して軽い気持ちで病院に行ったのに、医師から余命6ヶ月だと宣告されたら、どうするだろう。誰にとっても有り得る話だけれど、たいていの人は、その瞬間までそれを考える事も無い。この物語の主人公たちは、そんな事態に直面して、最後の日に悔いが残らないように、今までの人生でやり残した事を全てやろうとする。大富豪の豪腕実業家にジャック・ニコルソン、実直な自動車整備士にモーガン・フリーマンが扮し、人生の儚さと素晴らしさを、余裕の演技で見せていく。物語もだけど、始終アップになる二人の顔に刻まれた生きた証の年月が、何と言っても味わい深い。

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 (C) 2007 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

 <体調を壊して入院したカーター(モーガン・フリーマン)>は、偶然この病院の持ち主のエドワード(ジャック・ニコルソン)と同室になる。二人とも末期癌で余命6ヶ月と解った。カーターが棺桶リスト(棺桶に入る前にやりたいことを列挙したもの)を作ると、エド―ワードがそこに自分のリストも書き加えて、一緒にそれをしようと言う。
二人は心配するカーターの妻や主治医を振り切り、点滴を引きちぎって病院を出る。苦しんで僅か命を伸ばすより、短くても積極的に残りの時間を使おうとするのだ。

 <学業を半ばで辞めて>、一家の為に働いてきたカーターには、やりたかった事が山ほどある。リストはそんな夢を書き出したものだった。なのにそれを夢で終わらせず、全部やろうとけしかけるエドワードは、自分の為だけに積極的に生きてきた男だ。偶然の出会いから考え方も境遇も違う二人が格好の相棒になって、スカイダイビング、レースドライビング、アフリカでのサファリー探検、エジプトのピラミッドを眺め等々、リストに線を引いては次のしたい事に向かっていく。
 <それを可能にするのはもちろん財力で>、エドワードがいとも簡単に差し出す総てにカーターは感嘆する。エドワードも彼の感嘆が自分の人生への肯定のようで嬉しいのだ。仕事一筋で財を成しても、身寄りは無いようなもの。友達もいなければ、離婚を繰り返し、一人娘とも長らく会っていない。カーターの喜ぶ様は、エドワードの脳裏に浮かぶ人生の後悔や虚しさを、一時和らげてくれる。一方家庭的に恵まれたカーターにしても、自宅で遺す事になる妻と向き合うのはまだ辛い。愛する人々の労りが重荷になる時だってある。神様が二人に授けた幸運は、同じ年代で同じ病、同じように余命を宣告された二人を出会わせた事だ。

 <二人の旅は、どんなに豪華でも観客には何処かが痛々しい> はしゃげばはしゃぐほど後ろの死が透けて見える。自分でも解っていて、相手の瞳にそれを見つけながら、それでも無邪気に楽しもうとする男たち。死に逝く者の悲しみや怯えは、やっぱり本当のところ同じ立場の者でないと解らない。ここに他者が入れる余地はないのだ。裸になるとぶよぶよでみっともなくても、服を着たジャック・ニコルソンのかっこいい事。我儘ぶりや寂しさ、豪腕ぶりを楽しそうに演じている。それに対して、受けのモーガンの穏やかさと暖かさ。遊び呆ける二人の表情が、時々少年のようになるのは、本人達がこの役を楽しんでいるからだろう。

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 <二人の選択に目新しさは無い> ここで描かれるのは、たいていの人が出来るものならこうしたいと思う事だ。それでも、遊びに逃げて、逃げる虚しさに気付いて、覚悟を決めて穏やかになる二人を見せられると人生を考える。弱音を吐きつくして、覚悟した後の自分を愛する人に晒すのは、最高の人生だと思う。その過程をこそ支えるのが、家族であったり愛する人だという考え方もあるけれど、死ねば終りの本人以上に、遺される者にこそ死は重いのだ。支えたつもりの家族が実は支えられていることもある。思いっきり苦しむ時間を、愛する人から離れた所で持てたのは、男の美学を貫けて幸せだったと思う。不測の事態が起こった時、こんな役の経験は彼らの死生観に影響を与えるのだろうか。

 <秘書がそんな二人に、感情を出さず淡々と仕える>姿が良かった。どんな場所にもどんな時間にもスーツで現れ、絶対権力者に労わり以上に平然と言いたい事を言い放ち、プライベートな時間もフォローする。実はこの作品、最初のシーンは雪山を黙々と歩く黄色いヤッケの男を映して始まった。遠景や足元ばかりなので、このシーンの意味や誰なのかは解らない。映画の最後にこのシーンに戻って顔が映ると、男はエドワードの秘書なのだ。我儘な豪腕実業家は、誰に嫌われようと、身近な一人の男に最後まで忠誠を尽くされた。人には人の幸せの形がある。エドワードにとってこれを最高の人生と言わずにいられようか。真ん中に最期を置いて、家族を支え実直に生き抜いた男、ビジネス界を腕力で泳ぎきった男と、その側でじっと支えた男、三人の男の阿吽の心を描いた作品だと思う。

 <昔はよほどの初期で無い限り癌の告知は無かった> 告知は癌の治癒率が飛躍的に上がった証でもあるし、この二人のように、残された日々を充実させたいと言う死生観の芽生えでもあると思う。人は必ず死ぬと言う真実に気付けば、やがて来る死を嘆くより、その日までの限られた時間を大切にしたくなる。痛みを消せればだけれど、癌はそれができる病だ。
   

   この作品は5月10日(土)より、全国でロードショー。
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コメント


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共感できる映画です

共感できることばかり書いてありました。

>弱音を吐きつくして、覚悟した後の自分を愛する人に晒すのは、最高の人生だと思う。その過程をこそ支えるのが、家族であったり愛する人だという考え方もあるけれど、死ねば終りの本人以上に、遺される者にこそ死は重いのだ。支えたつもりの家族が実は支えられていることもある。

>人は必ず死ぬと言う真実に気付けば、やがて来る死を嘆くより、その日までの限られた時間を大切にしたくなる。

いろんな顔が浮かんできます。

大空の亀 | URL | 2008年05月09日(Fri)23:02 [EDIT]


コメントを有難うございます。
二人のベテランが楽しそうに楽々と演じていて、描いているテーマの割りに映画は軽いのですが、役よりも演じているこの二人の人生があるからこそ、これだけの味を出せるのでしょうね。じたばたしても仕方ないと言うのがこの二人を見ると納得させられます。
その横で、取り残された妻が取り乱してしまう。大事な時に自分が支えられないのを嘆いて、勝手に連れ出したと夫の相棒を恨んだりするのです。妻のほうはまだ夫の生に執着してるし、一日でも長くと思ってしまう。

大病を患った友人から、人生は限りがあると思ってからのほうが輝きだしたと、この感想が届きました。

映画のツボ | URL | 2008年05月10日(Sat)21:24 [EDIT]


 

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