太秦からの映画便り

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「靖国 YASUKUNI」

映写室 シネマエッセイ「靖国 YASUKUNI」   
 ―刀と言う精神的なものと天皇と軍隊―
 某国会議員の文化庁助成金への疑問発言に端を発して、一時は公開が危ぶまれたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、第七藝術劇場で上映中です。上映問題、映像使用等、頻繁にニュースで取り上げられ、しかも微妙な感情を呼び起こす表題効果もあり、連日大盛況。私が観た日も、立ち見どころか入れない人もいたくらい。

yasukuni-m.jpg

 <実は私は靖国神社に行った事が無く>、知識では知っていても、この神社の特殊性も今一つピンと来なくて、ご神体が「刀」というのも始めて知りました。
 <この映画は、日本に住む中国出身の李纓監督が>、10年間撮り貯めた物で作ったドキュメンタリーで、今やたった一人となった、高知に住む「靖国刀」を作る老刀匠の仕事場に入り、その製作過程と思い出を聞きながら、それに被せて小泉元総理の参拝や、終戦記念日前後の神社の様子を映しています。ニュースとかでは見知っていても、日章旗がはためき、軍服姿の方々が次々と参拝するのを長い時間見ていると、時が逆回転するようでちょっと辛い。ただ監督の公平さでもあるのですが、軍服の方へ一般の方がさかんにカメラを向けるのも映っているので、珍しい光景ではあるのでしょう。合祀に反対する人、日本の植民地支配を批判する人、アメリカの責任を問う人等の喧騒が映り、まだここには戦後があるというか、靖国神社の複雑さ特殊性をクローズアップしていきます。

 <靖国刀匠の最後の一人となった刈谷さんは>、当然仕事には思い入れがあり、監督の問いに答えて誇りを持って実に嬉しそうに、職人として「刀」について話される。だから代用品での試し切りについて話される口元にも笑みがあり、カメラはここで止まって、笑顔や沈黙の時間に意味を持たせるのですが、たぶんあの笑みはお顔に滲む年輪であり、インタビューの雰囲気を和ませる刈谷さんのサービス精神でもあると、注意深く映画を観ていたら解るのだけれど、単純に前後の繋がりを見ると別の意味が生まれます。正直に言って、靖国神社と絡めてくる映像に、刈谷さんはこんな風に繋がるとは想像もしないで話しているだろうなあと、お気の毒になりました。
 <刀作りについて紹介したいと言って仕事振りを映された>と聞きます。インタビューする事の多い私は、話された言葉どおり文字におこしても、本人以外そこに何の意味も感じないことですら、微妙に意味が違うと抗議を受けたことがある。靖国を考え、そこのご神体である刀を作ってきた人を映せば、李纓監督としてはこう繋げるのは必然なのでしょうが、刈谷さんの立場に立つと、この作為は辛い。自分の箇所の削除を求めた求めないと煩い世間に対して、ご本人はもうそっとして欲しいとコメントされていますが、その気持ちが痛いほど解る。言葉には出さなくても、監督も後ろめたさを感じていると信じたい。自分への自戒を込めて、伝えたい思いに誰かを巻き込む仕事の難しさ、必要な誠意、慎重さを感じました。

 <ところで、刀作りは精神的なところが大きく>、作られた刀も殺傷道具として以上に精神性を代弁している。作る過程も、雑然とした仕事場の上の神棚には榊が生けられ、神が見守っていますし、本人も白装束に白足袋を履き、いわば身を清めて仕事に臨みます。刀を打つ過程は魂を込める過程でもあり、画面からは、ことに臨む刀匠のただならぬ気配が伝わってくる。そうして出来上がった刀が身にも心にも重いのは当然です。
 <余談ですが、そんなものを持って歩き回っていた武士の時代>とは、何と野蛮だったのかと漏らすと、時代劇等の製作現場で本物の刀に触れることのある家族は、「野蛮と言うのは違うな」とぽつんと返してきました。武士と言うのは、刀を携え、いつも生と死の間を生きていた人々で、刀を持てば、それが放つ怖さや妖気という特別性に気付く。だからこそ刀の力に怯え、殺傷道具としてだけになるのを嫌い、そこに武士道と言う精神性を込めた。刀を持つものに、持つに相応しい高い精神性を求めたとも言います。もちろんそこから外れた荒くれどもは出るのですが、それは特殊な事だと。

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 <靖国刀も手作りゆえたくさんは作れず>、与えられたのは一部の上官たちでした。善悪はともかく、ここに武士道から続く日本軍の特殊性がありそうです。こんな風土から神風が吹く等という発想も生まれたのでしょう。又同時に、持つ者が極限で錯乱した時、刀の力に負けて、後世に汚点を残す残忍な行為に及んだこともあったと。刀の持つ2面性に支配された軍隊だったと言えるかもしれません。
 <日本軍の携えていた刀、それをご神体に置く「靖国神社」>、天皇、そこを軸に読み解いて行く李纓監督の視点は、考えてみるとこれこそが「菊と刀」ですが、両者とも外国人作家であるように、外から指摘されて始めて解る日本の姿でもあります。最後に流れる記録映像の昭和天皇は、軍服を着ていつも立派な刀を差している。それがやけに目立って、日本軍とは天皇を頂点にした、刀で繋がるとても精神的な軍隊だったのだと、改めて気付くわけです。ここにいたり監督の主張は明白になる。

 <この映画の話題は、上映中止に絡んで、言論の自由>、表現の自由等に集中しています。プロであればあるほど、肝心の映画の描くもの、日本やかっての日本軍の本質に言及しない。この映画を語る誰もが、論理をすり替えて、微妙な問題から逃げているかのようにすら見える。それはこの映画が、日本人ではなく少し距離のある外国人監督によって作られたのと同じで、「靖国神社」とは日本人にとってそれだけ語りにくい、複雑で微妙な問題を内蔵している証でもあるのですが、この映画は其処をこそ果敢に、余白部分で問いかけてくる作品でした。そこで感じた思いは、「ひめゆり」でも「特攻」でも同じように抱いた思いで、事実を積み重ねると自然にたどり着かざるを得ないもののようです。

     関西では、第七藝術劇場で上映中
     広島シネツイン新天地5月24日より、京都シネマ6月7日より上映
     沖縄では、桜坂劇場で7月12日より上映予定


<ちょっと横道のお話>
 私の隣で観ていた老人は、映画の中の割れたトランペットの音に合わせて、「兵隊さんはかわいそうだなあ。又寝て泣くのかなあ」と、感に堪えないように何度か大きな声で歌い、あそこにいた誰もに、もしかしたら映画以上に複雑な思いを抱かせました。こんな具合に、観に来ているのは老若男女色々なスタンスの方のようですが、この映画が社会現象を起こしているのは間違いありません。ナナゲイの前の道が、劇場から出た人で溢れて、映画館がこの商店街の活性化に一役買っているのを実感しました。
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コメント


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始めまして

僕はまだ見ていませんが見ようと思っています。進軍ラッパに合わせて歌ったと言う老人、まさに戦後は終わっていない。兵役についていた人だろうか、それとも身内を送り出した世代だろうか。反戦の思いで見る人もいれば靖国に思い入れのある人も見ると言う事ですね。

森田 | URL | 2008年05月20日(Tue)09:47 [EDIT]


始めまして。
コメントを有難うございます。本文にも書いてあるように私は靖国神社を知らないので、こんな映画を見るとそれはそれで又このイメージが強く、偏るのかもしれないけれど、今の世に軍服でお参りするというのは、相当の意思表示のはずで、颯爽とされていればいるほど、なぜか辛くなるのです。
先日映画関係者との雑談の際に、この歌の方について話したら、目を丸くしていました。あの場の微妙な沈黙(映画の上映中なんだから当然だけど)を鮮明に覚えています。

映画のツボ | URL | 2008年05月21日(Wed)01:38 [EDIT]


 

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