太秦からの映画便り

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Mr.ブルックス 完璧なる殺人者

映写室NO.151 Mr.ブルックス 完璧なる殺人者        
―成功者の二つの顔―

 誰にでも大なり小なり秘密はあるもの。それにギャンブル、覚せい剤やお酒等、悪いと解っていても止められない依存症もある。この物語の主人公は、その二つを最悪の組み合わせで持っていた。いつも良い人を演じるケビン・コスナーが、地位も名誉も手に入れた家族思いの実業家と、倒錯の性癖の連続殺人鬼と言う二つの顔に挑みます。秘密がばれそうになった時、最悪の依存症は断ち切れるのかどうか、衝撃の結末に息を呑む。

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(C) 2007 ELEMENT FUNDING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

<捜査官のアトウッド(デミ・ムーア)は>、カップルの全裸死体の側に残された血印に緊張する。シリアル・キラーが再び動き出したらしい。地元の大物実業家ブルックス(ケビン・コスナー)は、セレブなパーティを抜け出し、車を走らせながら血が騒ぐままにカップルを殺す。今回も完璧だった筈なのに、後で気が付くと部屋のカーテンが開いていた。こうして、完璧だった二重生活に綻びが出始める。

 <ヒーローもので人気の出たケビン・コスナー>だけど、私にとっては、丸っきりの良い人でもない。良い人の時も惨めさや口に出さない鬱積した思いを、整った顔の裏側に感じてしまう。どんな役の時も、彼の行動には問答無用の押しの強さがあって、根底に女には到底届かない男の論理を感じるから、いや彼個人の論理かも解らないけれど、異を唱えることもできず、引き下がるしかないのだ。だから、彼が演じる甘いだけの話には不満があった。何処か嘘っぽく、心の奥底に触れれないもどかしさが残ってしまう。
 <そんなケビン・コスナーに、年齢と共に凄みが加わり>、もう良い人の範疇では収まりきらなくなった頃の本作。やっと本領発揮だ。悪い時には裏側の誠実さが覗き、善良な市民の時にはそれでも信じ切れない不気味さが顔を覗かせる。まるで妻が半信半疑でこの男についていくようなもので、何かを感じないわけではないけれど、この男の前では気付かないふりをするしかない。得体の知れなさがこの男の力であり魅力だ。心の闇領域で生きる男と、誰もが知るセレブと言う表社会の二人の男の間を、圧倒的な存在感で行き来する。

 <だからなのかどうか、気がつくと>、非情な犯罪者のくせに人間臭いこの男に感情移入していた。犯行がばれないかとハラハラする。人を殺しながら、自分のおぞましさに苦悩する男、黒い欲望を抑えようと葛藤する姿にリアリティがあった。それでも断ち切れない依存症とは始末に負えないもの。私たちは犯罪者をいつも同じように悪人としてみるけれど、彼らにも善人の瞬間はあるはず。悩んで悔やみながら、それでも犯行に及んでしまうというのが真実かもしれない。

 <ところで物語は思わぬ展開を始める> カーテンの隙間からブルックスの犯行を写した男が、脅してきたと思ったら、目的はお金じゃあなく、殺しに自分も加担させろと言うのだ。物語が一気にサイコ色を強める。執拗に事件を追いかけるアトウッドの孤独感、カーテンの隙間から夜毎に他人の部屋を覗いていた者たちの孤独、都会人の心の闇が色々な形で現れ、このあたりの展開は息をつかせない。皆、正常と異常の狭間、正しさと悪魔の囁きの境界上を、バランスを取ってぎりぎりの所で生きている。両者を隔てるのは、些細な壁でしかない。よく俳優は悪人を演じたがると言うが、人の多面性や病理を誰もが執拗に演じて、影の濃さから目を離させないのが見事だった。
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 <秘密を抱えていた>この男の苦しみがより深くなるのは、大学の寮に入っていた娘が帰って来てからの事。妊娠して退学したと言うが、他にもっと大きな理由がありそうだと、彼も妻もうすうす感じる。大学町から捜査員が来て、彼の恐れは具体的になるのだけれど、このあたり、娘役のダニエル・パナベイカーが上手い。不気味さをコケティッシュにかもし出して、瞳が不信感を抱かせる。この娘は何なんだろうと言うような観客の反発と、それでも娘が可愛くて仕方ないブルックスの苦しみ。流れている血を呪い、娘を案じる彼の苦悩が、余計にこの男を人間臭くする。
 <そして娘を庇った時から>、この物語はエンドレスの不条理に突入していく。依存症が直らないのを身に染みて知る男も、自分に下したほどの覚悟を娘に向けることは出来ない。描かれていないその後が気にかかった。

 <終盤、印象的な形でウィリアム・ハートが>登場し、手に汗するブルックスとのやり取りが始まる。最近は日本でも凶悪な犯罪があると、心神喪失とか解離性障害とか、犯行時の異常心理が取りざたされる。極限状態の時、何らかの異常心理に落ちるのは間違いなく、それを言い出したらすべての人に罪はない。その時の異常心理もその人だと思うのは、私が肉体に宿る物を人格だと思うからで、人格をこそ人と考えれば違う結論がでるのだろう。この映画を観て、色々な異常犯罪者の、犯行時をじっくり正直に分析した手記を読んでみたくなった。Mr.ブルックスは多いのではないだろうか。


 5月24日(土)より、梅田ブルグ7、MOVIX京都、
             シネ・リーブル神戸等、全国でロードショー
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