太秦からの映画便り

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映写室 シネマエッセイ「アフタースクール」と「ザ・マジックアワー」

 映写室 シネマエッセイ「アフタースクール」と「ザ・マジックアワー」    
  ―ミニシアターの匂いと娯楽大作―

 映画の醍醐味の一つは、巧みなストーリー展開に騙される事だ。たいていの作品は何処かにその要素を含んでいるけれど、騙す事が主眼の作品や、騙されている人の滑稽さを見て楽しむ作品もある。今上映中の「アフタースクール」や「ザ・マジックアワー」がそうだ。どちらも大勢の人を集めている。

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  (C) 2008「アフタースクール」製作委員会

 <この手の作品で忘れられないのが>、「アフタースクール」の内田けんじ監督のデビュー作「運命じゃあない人」で、固有名詞が苦手なくせに、新人だった監督の名前を一度で覚える位感動した。最初見せた風景を別の方向から見せると、まるで違う風景になるという種明かしに舌を巻く。当たり前だけれど、真実は一つでも見え方は人の数ほどある。
 <この作品は、カンヌ等の映画祭で>色々受賞しているものの、若い人好みのマイナーな匂いが魅力だ。それはまだ半分アマチュアの内田監督の持っていた匂いでもあり、観客に気後れすることなく自由自在に騙す若さに驚く。演技にも時々はダンスや舞台の要素を取り入れ、有名でない事が自由さになり、監督の独自性と発想を広げていた。
 <こんな完成度の高い作品を観ると>、後に続くこのジャンルの作品を観る目が厳しくなるから困る。大ヒットした「The 有頂天ホテル」は大味に見えたし、ロングランを続けた「キサラギ」すら、(良いけど、私は「運命じゃあない人」のほうが…)と手放しでは褒めれない。凄い作品って、罪作りでもあるのだ。

 <前置きが長くなったけれど>、だから内田監督がその次に作った「アフタースクール」に期待していた。前作は俳優さんにもインパクトが強かったようで、出演者があの「運命じゃあない人」の監督の現場にいけると思うとワクワクしたと答えているし、「内田監督ってどうだった?」と多くの俳優仲間に聞かれたとも告白している。だからこの作品は、デビュー作の期待値が色々なところに作用して生まれたとも言えるのだ。
 <有名な人も出ずチープ感のあった前作と違って>、今回は旬の俳優が一杯出ている。雰囲気からして大作だ。でもこの手の作品、それが曲者でもある。騙しのテクニックも、大きいスクリーンにかかるから、前作のような小業じゃあなく、大勢の観客を一度に騙す大業が必要で小回りがきかない。中心部の回転が遅くなるのは否めず、ここで裏がありそうと気付く。時間を蒔き戻したり、タッチの差で見えたり見えなかったりの世界を、めまぐるしく次々と手品のように多面的に見せられた前作のテンポとはちょっと違うのだ。
 <この作品はメジャーに打って出た監督が>、作家性を残してなお且つ間口を広げるようにバランスをとりながら、作っているのだろう。だからこそ大勢の人を集め観やすいのだけれど、ミニシアターで監督に出会った私には寂しさにもなる。内田監督には観客に集中力を求めるマイナー感を無くさないで欲しいのだ。老成よりも観客を意識しない大胆な手法を使える若さが、何処かに残っていて欲しい。

 <同じ事はデンマークからハリウッドに進出した>、「悲しみが乾くまで」のスサンネ・ビアにも感じる。「ある愛の風景」や「アフターウェディング」で使った、目とか睫という体の一部の極端なアップの多様は相変わらずでも、時に荒い画質を使ったり赤味の強い独特の画像や、それはもう見事に、観客が予想出来る行動や台詞はスパッと省略する大胆な手法は影を潜めた。見やすく一般的になったわけだ。
 ハリウッドで今までと違い多くのお金を使い大勢の人を巻き込んで作れば、クリアー条件も変わってくる。プロデューサーの意見も強いだろうし、今までのように好きな人だけに観て欲しいと、自分で責任を被って居直っていられないもの。

 <内田監督と言いスサンネ・ビアと言い>、才能のある監督がマイナーからメジャーに上がるのは嬉しい。でもその監督ならばこその手法が、資本の論理で影を薄めるのも辛いのだ。もちろんこんな事は私以上に監督本人が感じている事に違いなく、次回作ではそこをどう修正してくるか、二人の監督が自分の何を大切にするかが、大好きな二人だから気になる。

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(C) 2008 フジテレビ 東宝
 
 <そんなミニシアターの匂いどころか>、今回も多くの大物俳優を集めた大作感一杯の映画が「ザ・マジックアワー」だ。売れない俳優が、映画だと騙されてやくざの親分のところに乗り込むという設定で、普通にしてたらかっこいい佐藤浩市が、ダサい格好とわざとらしい大げさな演技に入れ込んでいる。佐藤の仕草が可笑しく笑いが漏れた。
 <三谷幸喜監督はこの頃は無理やりでも大勢を巻き込み>、自分の作品を社会現象にしてしまう。映画はお金がかかる。映画監督たるもの興行には大きな責任があるから、何としても見に行って欲しいと涙ぐましい努力をしているのだ。昨夜など何気なくつけたテレビに、聞くに堪えない歌を真剣なまなざしで熱唱する監督が映って、目が点になった。周りは笑っているけれど、これこそが三谷ワールドで、周りと馴染まず突出している自分の真剣さを笑いに変えている。ここまでの思いやこの姿に感動して、気がつくと涙が滲んでいた。宣伝の為とはいえなかなかここまでは出来ない。

 <大きい会場で大勢を一緒に同じ方向で感動させるのは>、ミニシアターとは別の力技がいる。小さい作品だったら完成度を上げ作家性も出せるのに、それがし切れず大味になることも多いのだ。監督がそれを知らないわけが無く、その危険性を承知で大作主義に舵を切ったのは、相当の思いがあっての事のはず。作家性を大事にする監督ならその当たりを話しても、こちらに舵を切った監督は、拘りを捨てて別の何かの為に選んだ道なのだから言い訳をするはずが無い。
 <こんな作品が映画界を支えているのは事実だ> 封切り日は深夜になっても満席状態で、多くの人がポップコーンや飲み物の載ったトレーを抱えて、わいわい楽しそうに会場を埋めていた。監督は満杯の客席と観客の笑い声が、この映画の最後の仕上げだとよく解っているのだろう。大勢で皆と笑い声を合わせてみるのが楽しい。この作品から溢れた観客がシネコン全体を活気付け明るくしていた。

 <何だか最初書こうと思っていた事と違う方向に>話しが進んでしまった。「アフタースクール」と「ザ・マジックアワー」と言う、同じ頃に公開され、同じように騙し騙されのテクニックと脚本が勝負になる監督が主体の作品の、立ち居地の違いが興味深かったのだ。多くの観客を相手にするのを覚悟した監督と、まだその惑いの中の監督、私が興味を持った以上に、本人同士が相手を気にしていると思う。ミニシアターも好きだし、娯楽に徹した映画も好きだ。どちらもが、大切な映画界の両輪なのだから。 (犬塚芳美)

    両作品とも全国で上映中
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コメント


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こんにちは。私も三谷監督のテレビの宣伝につられて久しぶりに映画館に行きました。これから時々行こうと思います。

mamizu | URL | 2008年06月10日(Tue)09:07 [EDIT]


先日も学生時代の同級生と電話で話していたら、社会人になってから映画館に行った記憶がないのだとか。驚く事に、新聞に映画館の案内欄があるのも知らなかったそうです。でもこれだけ宣伝してたら、この作品のことは知っているから、行ってみようかと言っていました。映画は一度いくと癖になって何度も行きたくなります。今言い作品が一杯だからぜひビデオと言わず映画館で見てくださいね。

犬塚 | URL | 2008年06月11日(Wed)00:46 [EDIT]


 

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