太秦からの映画便り

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映写室 NO.155マンデラの名もなき看守

映写室 NO.155マンデラの名もなき看守     
  ―南アフリカ初の黒人大統領のとらわれの日々― 

 このところ南アフリカの黒人同士が、移民締め出し問題で争っている。弱者はいつも強者に踊らされて、彼らのはるか手前で虚しい争いをするものだと辛くなるが、黒人差別撤退の為に血の滲む様な戦いを続け、長い獄中生活を経てやっと自由を勝ち取り、南アフリカで初の黒人大統領になったネルソン・マンデラは、どんな思いでそんなニュースを聞くだろう。偉大な指導者の気持ちを考えると、弱者同士の争いがもっと腹立たしい。

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C) ARSAM INTERNATIONAL,CHOCHANA BANANA FILMS,X-FILME CREATIVE POOL,FONEMA,FUTURE FILM FILM AFRIKA 

 <彼の生誕90周年を記念した映画が>完成した。本人が始めて映画化を許可したのは、ノーベル平和賞に輝く偉業の数々ではなく、27年間囚われの身にあったマンデラが、一人の白人看守と心を交わした日々のこと。今行われている移民の焙り出しは、外見で区別がつかないから、いわば方言のような言葉のニュアンスの違いを見つけてだと言うが、色の違う二人が心を交わせたのはマンデラの故郷の言葉コーサ語だった。

 <1968年、人種差別主義者の>グレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は、家族を伴い国内一の刑務所ロベン島に看守として赴任する。反政府運動の首謀者ネルソン・マンデラ(デニス・ヘイスバード)の担当になり、彼らの言葉コーサ語が解るからと、昇進を餌にスパイを命じられた。通じないと安心して面会者と交わす指令が筒抜けだから、彼らの計画は失敗続き。危険人物と聞いていたマンデラだが魅力的で、グレゴリーはスパイしながらも彼の思想に興味を持ち始める。

 <グレゴリーは差別主義者ではあるけれど>、特別にひどい男と言う訳ではない。アパルトヘイト政策をしいていた頃の南アフリカでは、ごく普通の白人の考え方だった。いや、マンデラに出会って、彼の素晴らしさに気付き差別意識が揺らぎ始めるのだから、格別に柔らかい感性を持っていたとも言える。両者は常に支配者と従属者で、白人の誰もが(黒人は劣っているのだから自分たちの下で当然)と幼年期から刷り込まれ、対等な立場で接することなど無く、それに疑問を感じる感覚すら持っていない。
 黒人には参政権も無ければ土地の所有権も無く、家屋の所有や教育の自由も無かった。とまり黒人は時には人間以下の扱いで、マンデラのような優秀な黒人が突破口となり、自分たちと同じ地位に届かないよう、いわば特権を手放したくなくて、一杯制約をつけ競争の前に蹴落としていたことになる。

 <マンデラが「自由への長い道」で>、「肌の色や生まれ育ち、宗教などを理由に生まれつき他者を憎むものなどいない。人は憎しみを学ぶのだ。」と書いているように、幼年期のグレゴリーは差別感などなく黒人と一緒に遊んでいた。その彼ですら成人になると、少なくともマンデラと出会う前は黒人に差別感を持っていたのだ。無知を利用して憎しみを刷り込む社会構造だった。しかも、それに疑問を持つ白人をも仲間はずれにして、黒人同様に敵対視する醜さ。
 <この映画でも、グレゴリーが>、クリスマスに妻にチョコレートを送りたいと言うマンデラのささやかな願いを手助けした為に、彼だけでなく彼の妻までがこの小さな島で村八分にされる。親しかった仲間さえいっせいに手のひらを返す愚かさを、観客としては呆れて見ても、我が身に振り返って考えれば、現実の中で、きちんと異を唱えられる者がどれほどいるだろう。
 <差別とは、自分に都合の悪い者を>他からは意味のない理由をつけて排除する事。苛めそのものだと気付くと、今の私たちの周りの人権をうたう者にさえどんなに多い事か。デフォルメされてはいても、ここに描かれているのは、私たち自身が陥りやすい醜さなのを忘れてはいけない。

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C) ARSAM INTERNATIONAL,CHOCHANA BANANA FILMS,X-FILME CREATIVE POOL,FONEMA,FUTURE FILM FILM AFRIKA 

 <以前に映写室で取り上げた「善き人のためのソナタ」では>、崩壊前の東ドイツで国家の命令で民衆の自由な動きを監視していた男が、いつの間にか監視される側の社会の素敵さに気付く。挙句に彼らを庇って自分が苦境に陥るのだけれど、東西ドイツの壁が壊れた時、作曲家が密かに自分を守ってくれた男の存在に気付き、曲を捧げ愛で応えた様に、この話の映画化を許可したマンデラも又、ロベン島で出会った一人の名もなき看守の好意に愛で応えたことになる。これも又、マンデラの言葉を借りるなら、「憎しみを学ぶことができるなら、愛することも学べるはずだ。なぜなら愛は、人間の本性により自然に寄り添うものだからだ」という事だと思う。

 <ここに描かれているのは>、南アフリカの長く醜い歴史のほんの一瞬に過ぎない。支配者側に属する一人の平凡な男が、守るべき家族、出会った偉大な魂、自分の良心、そのどれもに愛を注いで、苦しみながらも旧態依然とした社会の規範を、自分の出来る範囲の抵抗で崩した日々の話だ。自分に密かに共鳴してくれたこんな男とこんな日々が、南アフリカを変えたのだと言いたい、ネルソン・マンデラの思いが伝わってくる。
この映画が、弱者同士で争っている南アフリカの人々の心に届きますように。 (犬塚芳美)

 
  関西では、6月21日(土)よりテアトル梅田、シネカノン神戸で上映
         続いて京都シネマで上映予定


<ちょっとディープに> 
 アパルトヘイトは1948年、南アフリカで法制化された人種隔離政策で、出生持の肌の色で人間4種類に分けられた。もちろん少数の白人が非白人から安価な労働力を得るのが目的で、後に国連から「人類に対する犯罪」とまで言われる。マンデラ釈放後の1992年、国会で廃止が宣言されて、以来終焉に向かった。
 マンデラの素晴らしい所は、このグレゴリーを変えたように、いつも大らかで、敵すらも魅了する素晴らしい人間性だと誰もが言う。さらに素晴らしいのが、黒人政府が誕生すると、かっての敵と共存する社会を目指した所だ。核兵器を破棄し、死刑を廃止し、ツツ大司教を中心にアパルトヘイトの真実の追究と和解の委員会を作った。和解、つまり憎しみの連鎖を止めたわけで、アパルトヘイトで行われたことを明らかにはするが、報復は許さない。権力を持った途端、立場が逆転して、今までやられたことをやり返す指導者が多いが、そんな愚かな事はしなかった。今ロベン島は、南アフリカの指導者達が青年期を過ごした自由の象徴とされ、観光客に開放されている。1999年には世界遺産に登録された。
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コメント


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黒人同士が争うのは辛いですね。背景に貧困があるのでしょうがアメリカの大統領予備選挙でスパニッシュ系移民と黒人がいがみ合ったようなものです。昔の教科書なら必ず載っていたからアパルトヘイトについて皆知っていたけれど今の子供達はどうなのでしょう。

akiko | URL | 2008年06月18日(Wed)17:41 [EDIT]


そういえばアメリカのそのケースも、団結するべき同士が敵対していますね。弱いもの同士が、わずかな仕事を奪い合って争うのでしょうが、強者に踊らされて彼らの思う壺だと、本当に情けなくて・・・。
マンデラの政策を調べていて、死刑廃止とかすばやい英断に驚きました。

ところで、今日の新聞には、軟禁中のアウン・サン・スーチーさんの63歳の誕生日が載っていますが、スーチーさんにもこの映画のグレゴリーや、「善き人の…」の監視者のような、反対側のシンパがいるのでしょうか。せめてそんな人がいて、軟禁と言えども自由に暮らしてらっしゃると良いのですが…。映画は現代に続く色々な問題を浮き上がらせます。

犬塚 | URL | 2008年06月19日(Thu)07:22 [EDIT]


 

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映写室 NO.155マンデラの名もなき看守:犬塚芳美

     ―南アフリカ初の黒人大統領のとらわれの日々―  このところ南アフリカの黒人同士が、移民締め出し問題で争っている。弱者はいつも強者に...
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journalist-net | 2008年06月21日(Sat) 22:57


 
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