太秦からの映画便り

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映写室 シネマエッセイ「譜めくりの女」と「JUNO/ジュノ」:

映写室 シネマエッセイ「譜めくりの女」と「JUNO/ジュノ」 
     ―訳ありの眼差しに心乱されて― 

 <男性はちょっと横に置いて>、女性の心理を丁寧に描いた秀作が続きます。圧巻は「譜めくりの女」と「JUNO/ジュノ」で、この2つは陰と陽とでも言うのか、ひっそりとモーニングショー1回きりで上映されている前者と、ジュノ旋風を起こして観客を集めている後者と興行的にも対照的。ただそれぞれに、この後どうなるのだろうと言う、行方が気になる大人のカップルが登場します。
 <そんな結末は、実は両方とも>、最初から奇異に感じていた登場人物の訳ありの眼差しのままで、(やっぱりこうなったか!)と納得する。日常でも誰かに感じた不協和音(?)は当たるもの。かすかな違和感がそのまま拡大した展開に、直感は侮れないものだと、映画なのか日常への思いなのか解らない、複雑な感情を抱きました。

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(C) Philippe Quaisse

 <「譜めくりの女」は>、「地上5センチの恋心」で夢見がちなヒロインを演じたカトリーヌ・フロが主演で、(京都では「譜めくり…」が先の公開になり、この後で「地上…」が続く)高名な弁護士の夫を持つ自身も高名なピアニストに扮します。腕が良いのに事故の後遺症で本番であがるようになっていたのが、たまたま手伝いに来た夫の事務所でバイトをする少女の、譜めくりの腕に助けられて再起をかけると言うお話です。
 <実はこの少女も昔ピアニストを目指して>いたのに、音楽学校の入試に試験官をしていたこのピアニストの無神経な態度で失敗して、きっぱりと止めてしまった。もちろんピアニストはそんなことは覚えてもいないし、彼女のそんな行為が無くても、元々実力的に無理だったのかもしれません。でも少女は、自分が夢を捨てたのはこのピアニストのせいだと、憧れつつも復讐の機会を狙っていたと言うわけです。

 <少女に扮するのが>、やはり以前にここで紹介した「ある子供」で鮮烈なデビューを飾ったデボラ・フランソワで、とびっきり美しいわけではないけれど、個性的というか、存在感のある肢体や瞳の奥の影が忘れられない。存在自体がなぜか気になる女優です。だから観客は、何の予備知識もなくても、彼女の登場シーンからこの女が物語の鍵だろうと予想が付く。説明が無いのに、観客は幼い頃の映像と結び付けて鬱積した思いを見つけ、(この女何かやるぞ)とハラハラしながら観ることになるのです。そのあたり、デボラ・フランソワのかすかに匂わせる、得体の知れない雰囲気を効果的に使っていると感心しました。

 <少女の眼差しに合わせた思わせぶりなカメラワーク>のせいもあって、動作の一つ一つに息を詰めて緊張するのですが、本人だけでなく息子や夫と、ピアニストの一家が善良で無防備なのです。標的のピアニストは少女を信頼し、彼女がいないと演奏できないまでに依存していく。もちろんそうなった後で本格的な復讐が始まり、観客の予想を超えた展開で、シリアスな結末にひた走ります。
 <恐ろしいのは恨み辛みが作り上げた怨念>と言うわけですね。少女の陰謀で、危機に落ちたピアニスト夫妻はこの後どうなるのか。中途半端に事を察した夫の無表情がすべてを物語っているとも言えますが、いや違う展開があるかもしれないと、わずかでも希望を探すのは、少女に翻弄されたピアニストが余りに痛々しいからでしょう。いくらなんでもこの少女の恨みはきつ過ぎる。まるで変質者です。穏やかな夫が観客と同じ様に僅かでも少女に危惧を抱いていたと思いたい。それがあれば寛容も生まれると言うもの、ラストシーンの後が気になる作品です。

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(C) 2007 Twentieth Century Fox

 <もう一つの「JUNO/ジュノ」は>もうご存知ですね。 一度の行為で妊娠した高校生のジュノが、友人に「胎児にも爪が生えている」と言われて中絶を止め、一人で里親を見つけ子供を生んで渡すまでのお話です。ジュノには新人のエレン・ペイジが扮していて、ちょっとおでこでキュートな表情と、めそめそしないぶっ飛んだ行動がカッコいいと、評判を集めていますね。彼女の明るさや両親の協力ぶり、親友の助け、相手の男の子の実感の無さやそれでも気になって見守るさま等はなんとも温かく、ジュノと彼女の回りの愛にやられた方が多い事と思います。
 <もちろん私もそうだけれど>、それ以上に気になったのは、生まれる子供の養父母が登場した時に感じた違和感でした。夫役の俳優の中途半端な表情が、なんだかこの映画の調子に馴染まない。妻を愛し養子を願うと言う役で登場したのに、何処かにあいまいさが見える。ジュノが二人を見て素敵なカップルと感嘆しても、セレブ然とした妻と似合わず、いくらかの危なっかしさを感じていました。

 <そんな気がかりを打ち消そうと思いながら見ていたのに>、後半になると、案の定彼はベールを脱いでいく。自由で型破りなジュノに触発されて、ミュージシャンの夢を諦め商業ペースで活躍している音楽家の自分に迷い始めるのです。妻の拘束を逃れもっと自由に生きたいと、そしたら違った自分になれたかもと、ここに至って夢を見始める。しかも、勘違いもいいとこなのですが、ジュノと二人で暮らそうとでも思ってたんじゃあないかという告白をするんだから驚く。悪あがきと言うか、高校生のジュノより子供じゃあないですか。ジュノに二人は素敵なカップルでいてと大泣きされ、妻にも事情が知れ、結局ジュノが臨月で、もうすぐ養子が届く頃になって、父親になる覚悟が出来ていないと妻との離婚を言い出す有様。

 <(ちょっと止めてよ!)と、誰だって怒りたく>なるでしょう? この訳知り顔のモラトリアム男何とかして欲しい。もちろんジュノも怒り、途方にくれる。途方にくれるけれど、女たちは逞しかった。彼の妻と二人、彼に惑わされないで計画通り前に進んでいくわけです。
 <ここからこの男には触れず>、ジュノの側を描いてこの物語は終わるのだけど、ジュノは回りを変える力もあるし、1人でも何とか事を処理していくだろうと信頼できる。だからこそ、1人で子供を育てる養母は大丈夫だろうかとか、別れた夫はこのままだろうかとか、此方の方が気になりました。どうして土壇場で責任逃れをするのかと腹立たしいけれど、子供を持つと言う実感のない男の人特有の物かも。それに今更の感のある彼の自分探しの結末が気になります。

 <何だかエッセイはいつも思わぬ方向に>行ってしまう。2本とも本題と離れたところが気になって。その場にそぐわない表情と言うのは、裏に多くの事を含んでいるのですね。体の中の不協和音は何時か亀裂を生み出す。表情に表れる小さな差異は、次の物語の出発点なのだと、映画と日常の両方で感じたと言うお話です。   (犬塚芳美)

   「譜めくりの女」は京都シネマで上映中(27日までのモーニング1回)
   「JUNO/ジュノ」は梅田ガーデンシネマ、京都シネマ等で上映中
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コメント


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あの男本当むかつく!

真 | URL | 2008年06月21日(Sat)23:35 [EDIT]


コメントを有難うございます。
<ジュノ>の脚本家のインタビュー記事を読んだら、二人の男の行動は「だってそんなもんでしょう」と言う事で、深い意味はなく一般的現象でとらえて書いたようですね。「むかつく」とは言わないけれど(でもジュノの立場に立てばそうかも)、私もこの夫には溜息を付いてしまった。何かいい加減にしてって言うか…。大きなおなかを抱えたジュノが唯一可哀想だったシーンです。
自由に生きている人を見ると、自由に生きる為にその人の払った代償には思い至らず、安全な生き方を選んで安定を手に入れたその立ち居地から、自分にだって可能性があったと思う人がいる。彼もそうだけれど、安定を選んだ時点が自分の限界だし可能性が消えたのだから、いい年をして(もしかしたら)なんて甘ったるい夢を見たり、人生を撒きもどすのはやめて欲しい。
私の身近には自由の代償を払いすぎるくらい払って自分が選んだ結果だからと愚痴を言わない素敵な人が何人もいるので、自分がやらなかったことまで可能性があったという、おこがましい事だけは思いません。そんな勇気が無かった事ぐらい自分が一番知っているから。だからよけいに、この夫の今後に興味があるのです。ふらりと妻の元に帰ったりするのだろうと。何かこの作品、世間で騒がれているところと違う所が気になってしまって。この後の物語の方に興味が湧きました。

犬塚 | URL | 2008年06月22日(Sun)20:48 [EDIT]


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| | 2012年06月05日(Tue)04:20 [EDIT]


 

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