太秦からの映画便り

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映写室 シネマエッセイ「ぐるりのこと」

映写室 シネマエッセイ「ぐるりのこと」     
 ―リリー・フランキーってどんな人?―

 <リリー・フランキーが自分の半生を綴った>「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」で、彼の役を演技とは思えない自然さでオダギリ・ジョーが演じたものだから、単純な私が二人のイメージを重ねてしまうのは当然の事。(きっとオダギリのように素敵な人なんだ!)と時代の寵児に妄想は膨らむばかりで、「ぐるりのこと」に、彼が役者で出ると聞いては見逃すわけにはいかない。
 <そうでなくても色々な雑誌で色々な人が>、彼の事を「もてる、もてる」と連発しているし、東京の業界の知人も、「フランキーさんは、なんかもてるんだよ」と真顔で言う。彼がまだメジャーじゃない頃の話の「東京タワー…」で、松たか子が演じたガールフレンドは、女優の〇〇〇さんの事だとも聞く。だから、「ぐるりのこと」に駆けつけたのは、映画を観たいというより(リリー・フランキーってどんな人? どうしてもてるの?)と言う疑問の答えを探るのが目的だった。

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(C) 2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

 <「ぐるりのこと」は美大の同級生同士で>結婚した夫婦の物語で、妻が子供を亡くした喪失感で欝になったりという紆余屈折の10年間を、二人の周りの事(ぐるり)を絡めて静かに綴っている。小さい出版社に勤める妻と靴の修理屋から法廷画家になった夫、妻の父親は元プロ野球選手で行方不明だし、母親は怪しげな祈祷で稼ぎ、妻の兄は浮き沈みの激しい不動産業者という設定だ。病気で精神的に不安定な妻を静かに支え続けた夫の情愛と、其処から生れたものが主題だろうか。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身の橋口監督が、今邦画界で流行の、日常を描きながら人生のささやかだけれど、かけがえの無いものを炙り出す手法だ。
 <主人公の仕事柄、世間を騒がせた大きな事件の裁判が>被告と傍聴席の様子を誇張して描かれているが、鳩山法務大臣のいるこのご時世だから、もう死刑執行された方も数人いて、本当かどうかはともかく、誰もの巷の噂を裏付ける傍若無人振りが面白かった。

 <でももちろん最初に断ったように>、私の目的はひたすらリリー・フランキー。彼が出ていなかったら観なかったかも知れない位だもの。雑誌等で写真は見ているから、それ以外のニュアンスとかが知りたかった。一見するとごく普通の男性で、ハンサムとは言えないし、さり気無く中年体型になってもいる。(なのにどうしてもてるの?)と言う疑問には、力の抜けた自然体が素敵だったと答えたい。
 <リリー・フランキーさんは構成作家でD.Jとかも>されているから、映画には出なくてもこんなことには慣れている業界の人だ。丸っきりの素人ではない。それでもカメラの前に立てばいくらかは緊張もし構えるだろうに、こちらからはまるでそれが見えなかった。それどころか、きわどい下ネタやお国訛りを連発して、不思議な安らぎに変えている。彼の脱力感がこの作品のトーンなのだ。薄く脂肪の乗った裸体まで肩の力を抜いて平然とさらしている。まるで自分の家で寛いでいるように。すべては、演技と言うよりカメラを意識せず、いつもと同じように自分でいたのだと思う。

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(C) 2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ
 
 <カメラの前だけでなく、多分何処でもどんな人の前でも>、彼はこんな具合にいつも淡々とありのままの自分でいそうだ。この魂の抜け具合が、他人をもありのままに受け入れる優しさとなり、競争社会で生きる多くの女性の安らぎとなるのかもしれない。自分を追い詰めて苦しむ妻を慰めるシーンなど、包み込むような優しさ。実生活のワンシーンを見ているようだ。だらしない自分を知り尽くし、他人の歩調に合わせられる人なのだろう。そんな魅力が垣間見える。彼の描いたイラストも登場して、本人に似た脱力感が暖かくて素敵だった。

 <ところでこの作品ですら>、自分のままを出す役者ばかりではない。柄本明や寺田農、倍賞美津子と、自分でいるように見せながら、実は周到に計算した、役を生きているベテラン達がいる。こちらは、自然には見えてもただの自然とは重みが違う。もちろん映画的世界が成立しているのは、実力を持つそんな脇役がいるからだ。初めから自然体の人、演技を勉強し尽くして自然体になった人、同じ様で両極端、違うようで同じという両者の共演が興味深かった。
 <リリー・フランキーさんのもてる秘密を探って>見入ったけれど、この映画、私のようにちょっと横道にそれた関心で観た人も多いはず。彼を主役に据えた配役だって、そんな観客を取り込む意図もあったと思う。もちろん役にぴったりなのもあるだろうけれど(これはオリジナル脚本も書いた監督がそう思って本人にオファーし、脚本を読んだリリー・フランキーもこれは自分だと思って3ヶ月悩んだ後で引き受けたらしい)、この製作者達時代の空気を読むのが巧みなのだ。ちなみにこの映画の製作者に、良心的なドキュメンタリー制作で有名な「シグロ」の山上さんが入っていて、ちょっと驚いた。他にも、今さかんに作られている邦画はこの人たちで回っているというメンバーが、キャストにもスタッフにも大勢見つかった。そんな意味でも、この作品はとても今的なのだ。

 <ただ、この後公開の作品に>、同じテイストのものが続く。こんな作風が良いといっても、これでは食傷する。作るという視点で見れば、これは作っているわけじゃあなく、視点を変えて気付かせたわけで、反則技すれすれの変化球のはず。作りこんだ作品群の中にあるからこそ良さも光るというものだ。この手法はもう完成したんだから、そろそろ次の次元の競争も見たいなあ。(犬塚芳美)

     この作品は、シネ・リーブル梅田、京都シネマ等で上映中
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