太秦からの映画便り

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映写室 「花はどこへいった」坂田雅子監督合同会見(後編)

映写室 「花はどこへいった」坂田雅子監督合同会見(後編)     
 ―ベトナム戦争で使われた枯葉剤―

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(C)2007 SAKATA Masako / 映画『花はどこへいった』より

<昨日の続き>
―重い障害の子供を、家族がよく面倒を見、優しく接しているのが救いでした。
坂田:取材は通訳と二人だけです。同じ東洋人の女が一人で行ったのも、親しみやすくて良かったのかもしれません。ためらわずに色々な姿を見せてくれた。脚が無かったり、頭が二つあったりと障害の重さに最初はドキッとしますが、それを越えると本質が見えてきて可愛い。素直だし本当に可愛かった。でもそんな事が言えるのも、私が日本に帰れば居心地のいい生活が待っているからで、ずっとその場所にいると大変だとは思います。日常の全てを世話しないといけない障害者も多い。それでもだんだん大きくなりますし、親のほうは年をとっても来る。頭が二つある少年はどうしているだろうと思って又行ってみたんですが、彼の姉がちょっと複雑な表情に変わっていた。通訳の人が、彼女はおそらく結婚できないだろうと言うけれど、知的障害のある妹もいます。両親が老いて行くと二人の面倒を見るのは彼女しかいないわけで、そんな事とかを考える年頃になった。自分の肩に重みを感じているのでしょう。施設に入れないのは、入れられないのと手放したくないのと二通りあるようです。

―撮影に行かれた地方はベトナムの南北に渡っていますが。
坂田:枯葉剤が撒かれたのは南ベトナムですが、其処に北のベトコンがいわゆるホーチミン・ルートでゲリラ作戦に入ったんですね。ベトコンの隠れる草木をなくするのが目的で枯葉剤が撒かれたので、その影響を強く受けているのが北の兵士なのです。南へ行った北の兵士の子供に、行かなかった方と比べて極端に多く障害児が生れている事からも、枯葉剤の影響は証明されると思うのですが、アメリカは認めない。一番ひどい村では、5000人の内重い障害を持つ方が158人もいる。村単独では障害者を支える事が困難になってきて、社会問題にもなっています。

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(C)2007 SAKATA Masako / 映画『花はどこへいった』より

―このドキュメンタリーを観て、何故ベトナム帰還兵のグレッグさんがカメラマンになり、ベトナムを伝えていこうと思ったかが解ります。
坂田:ありがとう御座います。ベトナムは、夫にとって大事な国だった。それまで普通の青年に過ぎなかった彼の目を覚まさせられたと言う意味でも、特別です。撮影は彼の喪失感から始めた事だけれど、それと同じ事が私に起こった。ベトナムが新しい1歩を踏み出すきっかけになりました。夫がスチール写真でした事を、私がビデオカメラで継いでいけたらいいなと思います。
―完成していかがですか。
坂田:ベトナム戦争を知る世代だけでなく、若い人たちが興味を持って見てくれるのが嬉しいです。40年前に私は自分のことにかまけ、枯葉剤の問題が起こっていることに気がつかなかった。社会を引き継いでいくのは若い人たちなので、目を見開いて今何が起こっているのかをちゃんと見て欲しい。今起こっていることも変えることは出来るのだから、しっかり目を見開いて見て欲しい。その為にもメディアとの関わり方が大切で、事件の奥に何があるのか、注意深く知ろうとする態度が要請されます。この作品には二つの思いがある。一つは夫を亡くしたと言う個人的な思い、もう一つがベトナムの人々の困窮を伝えたいと言う思いです。その二つを独りよがりにならずどうやって皆さんに観ていただくかが、私の課題でした。最後に雪が降るシーンがありますが、一滴の水がやがて集まって波紋を広げるように、世界は繋がっているという事実に、枯葉剤の問題を広げられたのが良かったと思います。ダイオキシンを含むのは枯葉剤だけではない。ゴミや産業廃棄物の焼却でも出ます。今は何とも無くても、40年後に大きな問題になるかもしれない事に、疑問を持って気付いて欲しい。

―次に作るとしたら何でしょう。
坂田:色々企画はありますが、又ベトナムに行きたいですね。自分の撮った障害者がその後どうなったか会ってみたい。それと、この作品は自分の悲しみが前面に出たけれど、撮ったことでそれを横に置けた。次は別の視点で撮ってみたいと思います。グレッグは本当に優しくて良い人でした。でも反権力者で、正しくないと思うことにはとことん反発する。他にも、友人が主催する会に皇太子夫妻が来られるというのに、彼はジーパンで出かけた事があります。「そんな人はただ一人だ。恐ろしいことだと思わないか」と友人が言っていました。これを作りながらも、グレッグだったらなんて言うだろうと考えました。大体応えは解かっているので、彼の導いてくれる方向に向かって行きたいと思います。(犬塚芳美)

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(6月17日大阪にて)

<会見後記:犬塚> 
 障害を持つ子供たちの姿はあまりに凄まじく、息を呑みます。世代を超えて、ここまでかっての過ちの被害が続いているのに、驚きました。枯葉剤を作った薬品会社の方が見たら、罪悪感に苦しみ悪夢に魘されるのではないでしょうか。可愛いとはいえ、大きな障害を持つ子供たちを育てるのは大変な事。それが出来るのは、穏やかな国民性や、豊かな自然が溢れ、まだ殺伐としていないベトナムの国力でもあると思います。それを壊してはいけない、そんな余裕が貴重な時代です。最初と最後に「雨を汚したのは誰」(ジョーン・バエズ)、「花はどこへ行った」(ピーター、ポール&マリー)という、ベトナム反戦歌でもあった懐かしいフォークソングが流れます。お楽しみに。ところで、監督が質問に同じ目線で丁寧に応えて下さったのが印象に残りました。監督は何だか懐かしく、同じ匂いがすると思ったら、時期は違うけれど、吉田山の山頂にあったラディカルな自由人の集まるお店に同じように通っていたようです。

  この作品は7月5日(土)より、第七藝術劇所で上映
         8月23日(土)より、神戸アートビレッジセンター
         8月下旬、京都シネマ上映予定


*この作品の上映に合わせて、村山康文氏の写真展「ベトナム・枯葉剤が残した真実」が劇場ロビーにて開催中。
  
*7月6日(日)14:10の回上映後(15:45~)、同ビル4F新橋飯店オレンジルームにて坂田監督と村山康文氏のトークショーがあります。

*7月7日(月)、立命館大学衣笠キャンパス以学館2号ホールでこの作品の上映会があります。お問い合わせ(075-465-8151)
    上映時間  1. 13:00   2. 16:30
          15:00~16:00 坂田雅子監督、安齋郁郎氏、鶴見俊輔氏の対談


<村山康文氏は>1968年生まれのフォト・ジャーナリストで、主にベトナムの社会問題をカメラとペンで追いかけ、過去10年で24回の渡越。ベトナム教育文化省から表彰を受けている。
<坂田監督のご主人グレッグ・デイビス氏は> 1948年ロサンゼルス生れのフォト・ジャーナリストで、ベトナム戦争から帰還後に独学で写真を学び、アジア各地を撮影。「ライフ」誌、「タイム」誌等世界の主要誌に掲載された。2003年4月19日、不調を訴えて入院するが5月14日には肝臓癌により逝去。
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コメント


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対談拝聴。

T.T | URL | 2008年07月09日(Wed)09:57 [EDIT]


コメントを有難うございます。凄いメンバーの対談が実現したのですね。もう一度監督にお会いしたかったのですが、仕事でいけなくて。
村山さんの写真も披見したくて、期間中に何とかと思っています。監督が最後に言った、「これを作りながらも、グレッグだったらなんて言うだろうと考えました。大体応えは解かっているので、彼の導いてくれる方向に向かって行きたいと思います。」と言う言葉が印象的です。

犬塚 | URL | 2008年07月09日(Wed)22:33 [EDIT]


 

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映写室 「花はどこへいった」坂田雅子監督合同会見(後編):犬塚芳美

     ―ベトナム戦争で使われた枯葉剤― <昨日の続き> ―重い障害の子供を、家族がよく面倒を見、優しく接しているのが救いでした。 坂田:...
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journalist-net | 2008年07月09日(Wed) 07:47


 
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