太秦からの映画便り

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映写室 シネマエッセイ「近距離恋愛」

映写室 シネマエッセイ「近距離恋愛」   
 ―アメリカの花嫁付添い人という仕組み― 

 <貴方が結婚相手を決めたのは>どんな理由だろう。運命の糸で結ばれていたのかもしれないけれど、ほんの弾みかもしれないと、この年になると時にシニカルに考える。カップルの事情は微妙だから、それぞれが誤解している事もあるし、どちら側から見るかで事情は違ってもくるのだ。そんな複雑な心模様はいつも文学のテーマ。真剣に考えるとすべてが怪しいから、平凡な生活を望むならそんな事からは目を反らして生きるのがいいのかもしれない。誤解も又、長い年月の暮らしで許せるようになると言うものだ。

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(C) 2007 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved

 <ある映画監督が>、「誰かに恋焦がれるような激情から遠い今の年齢がいい。悩むエネルギーを創作に使いたいから、若い頃には二度と返りたくない。」と赤裸々に言われて驚いたけれど、日本の若者向けのテレビドラマと違って、外国の映画を見ると愛や恋に悩む男女に年齢制限は無い。いや日本にも熟年の恋物語はあるけれど、秘めやかでちょっと切り口が違う気がする。
 <恋愛どころか、いい大人が結婚式に大盛り上がり>のハリウッド作品をこのところ立て続けに見た。晩夏にも同じようなテーマの大きな作品が控えているが、映画は時代感覚のあるプロデューサーが、皆の願望をすくい取って作るもの、これも今の空気感を体現しているはずなのだ。女性大統領が誕生しそうだったほど女性の社会進出が進んでいるアメリカで、今何が起こっているんだろう。大人の女性が結婚式にはしゃぐ様子は、男と肩を並べる事に疲れた女達の夢物語の様でもあるのだ。

 <「近距離恋愛」の主人公二人は>、若者と言うにはちょっと大人過ぎる。それでも自分の心が解らず、お互いを運命の人だと気付いたのは、相手が手の届かないところに行きそうになった時だった。
 <同じ相手とのデートは2晩続けない>という独身主義の男(パトリック・デンプシー)と、メトロポリタン美術館で絵画の修復をする堅実な女(ミシェル・モナハン)は、大学時代からの親友。一緒に週末を過ごしても恋人じゃあない。でも暫く会えなかった時、やっと大切な存在だと気付くけれどその時には…と、書いていてもその先が読めるように、展開はよくある話だ。「魔法にかけられて」のシングルパパ振りでファンになったパトリック・デンプシーが、この素敵なのに情けない男によく似合っている。考えてみるとこの役は難しい。知性もいるし、誰もが好感を持つハンサムでないと感情移入できないもの、彼の存在が閃かせた物語だと言う話に頷いた。

 <でもこの物語がおかしいのはここからで>、「そいつとの結婚を止めて僕と結婚しよう」と言う一言が言えず鬱々としている間に、なんと親友だからと男の身で花嫁付添い人、それも一番責任の思い“メイド・オブ・オナー”を頼まれてしまうのだ。仕方ないから、情けない気分でドレスの試着やパーティの準備に付き合う様は、笑いながらも妙に共感できる。心とは裏腹のこんな情けない状態に陥ることは無くも無いのだ。現実だったらこのまま別の人と結ばれるのだろうけれど、そこは映画、最後の最後にもちろん物語が待っている。身近過ぎて遠い相手、大人同士のもどかしい恋は、甘いけれど意外にリアルだった。

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(C) 2007 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved

 <ところでアメリカの(他の国にもあるのかもしれないけれど)>花嫁付添い人の話は「幸せになるための27のドレス」がそうだったし、この後公開の作品は、結婚式の前夜付添い人たちとホテルに泊まって、女同士で大はしゃぎする花嫁に花婿が引いてしまい、とうとうすべてをぶち壊す話だ。どの作品も、一昔前の言葉を借りるならキャリアウーマンたちが、花嫁も周りの友人も結婚式に入れ込んではしゃぎ捲くる。
 <時には奇抜すぎるほどの趣向を凝らした衣装>で、結婚式を盛り上げる花嫁付添い人たち。日本の私たちには馴染みが無いけれど、この仕組みは何時からあるのだろうかと気になった。まるで引き返せないイベントに無理やり当事者を蒔き込む様で、マリッジブルーの危機を知り過ぎているようにも思うのだ。怖気付く花婿の気持ちのほうが解る。こんな事よほど若くないとやってられない。…なんて捻くれているのだろうか。日本でもこの頃の結婚式は、花嫁の友人たちが何だか仮装行列の様な格好をしていて驚くけれど、結婚式が神聖さよりイベントになってしまった原型がハリウッド映画で見えた。何度も離婚を繰り返すアメリカの結婚事情、だからこそ盛り上がった結婚式が大事ということだろうか。

 <その結婚式をしなかったカップルの話が>、以前にも取り上げた「ぐるりのこと」の夫婦だ。旅行先のホテルで若い人の結婚式に出くわし、花嫁衣裳をつい目で追いかける妻に、夫は優しく、「あんな事をしたかったの?」と問いかける。最後にスチールでこの時の緊張した二人の写真があったから、写真だけは撮ったということになる。
 <この映画は新聞の映画談話で>男性二人が絶賛していたし、私宛のメールにも「凄い。今年一番かも」と言う男性からのものが2通あった。悪くはないけど、其処までではと戸惑って、理由などをぼんやり考えながらバスを待っていたら、ふと気づいた事がある。それはこの作品が男性の本音を語っていて、その本音の語り方や深さがこの映画の製作者達より上の世代を、いたく感動させたようだと言う事だ。

 <脚本も書いた監督の世代にとっては>、こんな具合に妻に本音を言うのは(監督達が標準より幾分柔らかいとしても)それほど特別でもないはず。男の威厳とかに拘らず、妻と友達みたいな関係で暮らしているから、心に夫としての鎧がない分自然なのだ。
でも上の世代はそうはいかない。こんな風に妻に本音を言うことなんて無いんだろう。だけど言わなくてもそんな事は伝わっているはず。そんな本音が漏れているなんて、夫たちは気が付かないのかもしれないと、この作品を絶賛する男性たちを見て思った。いや、態度で表すのと言葉にする違いに驚いているのかもしれないけれど、どちらにしても伝わってはいるのだ。

 <日本とアメリカのカップルの事情>、同じ文化圏だから微妙なニュアンスが伝わってくる邦画と、まず向こうの文化に注目する華やかなハリウッド作品。どちらも本音の周辺で、誤解したり嗅ぎ取ったりしながら暮している。描きたいものが一緒でも印象がまるで違うのが面白い。(犬塚芳美)

    「近距離恋愛」は、7月12日(土)より全国ロードショー
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コメント


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ありがとです。

あ…。
なんだかセンチメンタルジャーニー(懐)な気分になりました~。

とっても、ありがとうございます ですぅ~♪

りぃ子 | URL | 2008年07月11日(Fri)19:28 [EDIT]


昔風に守られる生活への憧れが、女性にはあるのかもしれませんね

犬塚 | URL | 2008年07月12日(Sat)07:36 [EDIT]


5月になくなった名監督シドニー・ポラックが父親役で出演していますね。合掌。

T.T | URL | 2008年07月15日(Tue)22:32 [EDIT]


すみません。この作品を取り上げたのはその理由も大きかったのに、途中ですっかり忘れていました。監督としての作品に記憶が強かったようです。
主人公が結婚に懐疑的になる根本的な理由を創った、離婚を繰り返す父親ですね。この年で未だに若い妻を娶っては慰謝料をむしりとられる、ショット情けなくも素敵な紳士が素敵でした。
以下は配給会社さんの資料の転記です。

シドニー・ポラックは1934年、アメリカ・インディアナ州生まれ。高校卒業後、俳優を目指してニューヨークへ出たあと、役者として順調に活躍しつつ、テレビ・ドラマの出演中にジョン・フランケンハイマーと知り合い、彼の勧めでハリウッドへ行く。やがてテレビの監督を務めるようになり、65年の「いのちの紐」で映画監督デビュー。20本の監督作品はアカデミー賞に合計46部門にノミネートされ、彼自身は監督賞に3度ノミネートされている。そのうち『トッツィー』(82年)と作品賞を始め7部門に輝いた『愛と哀しみの果て』(85年)で見事、監督賞を受賞した。80年代後半から製作側にまわるが、93年に久々に監督した「ザ・ファーム/法律事務所」が世界的に大ヒット。役者としても「アイズ ワイド シャット」で存在感のある演技を見せていた。
プロデューサーとしては、ジョージ・クルーニーと組んだ『フィクサー』(2007年)が、俳優としては『近距離恋愛』(2008年7月12日公開)がそれぞれ遺作となった。『近距離恋愛』では主演のパトリック・デンプシーの父親役として、6度目の結婚をする老いてなおバイタリティーのある男を存在感たっぷりに演じている。

犬塚 | URL | 2008年07月16日(Wed)07:35 [EDIT]


 

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