太秦からの映画便り

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映写室 「火垂るの墓」合同会見(前編)

映写室 「火垂るの墓」合同会見(前編)
 ―日向寺太郎監督と主演の吉武玲朗さんに伺う撮影秘話―

 戦争文学としてこれほど知られた作品もないと思いますが、約40年前、野坂昭如氏が自分の体験を綴って直木賞を取った「火垂るの墓」の実写版が、今夏公開になります。実はこの企画は、プロデューサーが黒木和男監督で撮りたいと温めていたものだとか。監督の訃報で渡されたバトンを、戦争を知らない世代の日向寺太郎監督がどう繋いでいくかや、豊かな時代に生まれた吉武玲朗さんが、戦時下の少年を演じる苦労話等を伺います。

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(6月27日 大阪にて)

<その前に「火垂るの墓」はこんなお話>
 戦争も末期の神戸。日本中が困窮していたが、清太(吉武玲朗)と節子(畠山彩奈)は海軍大尉の父と病弱でも優しい母(松田聖子)に守られ、幸せに暮していた。時々喘息の発作が起こる息子を父親は剣道で鍛え、甘えん坊の妹はドロップの缶を抱えて遊ぶ。そんな幸せが一瞬で消えたのが、45年6月の神戸大空襲だった。家は跡形も無く、一面の焼け野が原。逃げ惑う人々を掻き分け節子を背中におぶって学校に行くと、母は全身を火傷して横たわっている。「清太…」と差し出す手が握れず、後ずさり。リヤカーを持って学校に帰った時にはもう母は息絶えていた。母の言いつけどおり遠縁の小母さん(松坂慶子)を頼っていくが…。

<日向寺太郎監督と主演の吉武玲朗さんの合同会見>
―大作に挑まれた気持ちはいかがですか
日向寺太郎監督(以下監督):この作品は元々プロデューサーの企画で、当初黒木監督で撮ろうとしていたのですが、ご存知のように亡くなられました。プロデューサーは僕と前作で組んでいて、又一緒に撮ろうと言っていたので、だったらこれを一緒にと言ってくれたんです。僕が黒木監督の助手をしていたのもあるかと思います。
―プレッシャーはありましたか。
監督:もちろんありました。大きく分けると3つで、一番大きいのが戦争体験の無い者が戦争を描けるかと言うことです。黒木監督が師匠だったと言うのも大きいのですが、身近に見ていただけに、僕には黒木監督のトーンで下の世代に戦争の重さを語れないと思いました。2番目が、非常に多くの人が見ているアニメーションの存在で、それに勝てるだろうかと言うことです。後発部隊として、勝たないと作る意味がありません。しかもアニメと同じ事をしても実写版を作る意味が無い。原作は一緒なので大きな骨格が変わらない中、実写版で成し得ることは何だろうと考えました。野坂さんの原作は直木賞も取って有名ですが、「火垂るの墓」がこれだけ有名になったのはアニメの力が大きい。ただ40年前の原作と、20年前のアニメと言う時間を考えると、今作るのは、世代を超えてこの物語を語り継ぐ橋渡しの役目になるとも思いました。3つ目のプレッシャーが、隣に吉武君がいるので言いにくいのですが、主役が子供だと言うことです。この経験の浅い新人監督が、子供に演技をつけれるだろうかと考えたんです。ベテランの監督なら色々な引き出しがあるが、僕は映画に対する経験が浅い。それが不安でしたね。後の二つは最初のプレッシャーに比べれば大きくはありませんが。

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(C)2008 「火垂るの墓」パートナーズ

―そんな監督の思いを隣で受け取った吉武さんはいかがですか。
吉武玲朗さん(以下吉武):監督がそんな思いを持ってらっしゃることは知らなくて。
監督:言いませんから、隠しますよ(笑い)。
吉武:オーディションの時は実は内容をよく知らなくて、泣ける物語だと言うのだけ知っていたんです。だから大きい役に受かったと言うより、一つの作品に受かったと言う受け止め方で、そういう意味ではプレッシャーも無く気が楽でした。撮影に入る前に準備として、まず脚本を読み、アニメを観て、ドラマを観ました。で、清太を演じるのではなく、自分を無くさずに清太になりたいと思って、脚本から役を自分の中に入れました。もちろん戦争については知らないので、本当の怖さも解りませんが、暮らしの中の色々な事は今とも繋がりますから、演じる上ではそれを大事にしました。
―失礼ですけれど、吉武さんのご兄弟は。
吉武:姉と二人兄弟です。
―いつも大切にされてる訳ですね。妹がいらっしゃらないのに、この役は大変でしたね。
吉武:妹はいないけれど、世話をするのが苦にならないと言うか、好きだったんです。母が小動物が好きで、家にはペットがたくさんいます。僕の部屋にもハムスターが3匹、リスが2匹、モモンガが1匹等いますし、居間には犬が3匹、姉のところには猫が1匹、他にもイモリが3匹とか水槽もあります。僕も動物が好きだけれど、結局世話のほうが好きになってしまって。それに自分の家の周りに同年代の人がいないので、近所の年下の子供たちが、玄関の呼び鈴をピンポンと鳴らして遊びに来ますから、本当の妹はいないけれど、妹や弟のような存在はいたんです。

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(C)2008 「火垂るの墓」パートナーズ

―原作は短編で、アニメ版もそれを膨らませている。脚本を監督も一緒に作っていますが、実写版で膨らませたのは何処ですか。
監督:校長先生一家と原作で一行だけの大学生、それと町会長さんですね。理由は、清太と節子がどういう状況でいるかを説明するためです。20年前に作られたアニメは清太と節子の物語でよかったけれど、原作から40年経った今だったら、そうはいかない。戦争を知らない人も多いので、二人がどんな状況にいたかを描かないと、戦争の悲惨さが伝わらないだろうと思いました。トップの空襲のシーンは、C.G技術を使えば今たいていのことは出来ます。でもいくら迫力があっても、観客の目には嘘と解ってしまう。嘘から入るのが嫌で、それよりは観客の皮膚感覚に訴えようと、焼け跡の雨のシーンからにしたんです。雨のじとっとした感覚とかは時代に関係なく伝わりますから。それと原作と大きく違うのがラストのシーンです。ラストは脚本を作っているうちに変わっていきました。清太は映画の中で死なないほうがいいと、稿を重ねているうちに気付いたんです。これも、40年前なら清太が死んで終わっても、(そんな人がいた。そんな話があった)と思えたでしょうが、40年経つとある種ファンタジーになってしまう。昔こんな話があったと言う風な、実感の無い昔話になってしまうという事です。これを撮りながら、死んだ人達の事を考えるようになって、(この物語の舞台は遠い昔だと思っていたけれど、そうではない。この63年間は日本史上も人類史上も特殊な時代で、今の僕たちも死んだ人たちの上に立って生きているのだなあ)と思ったんです。地表を一皮向けば足元には死体がごろごろしてると言うか、死んだ人の上に立って生きているんだなあと思った。今作るのなら閉じた物語にしないほうがいい。時代は切れたものではなく繋がっている。清太から私たちが始まっているという、現代に繋がることに意味を込めたものにしたいと思いました。(犬塚芳美)
                                          <明日に続く>
                  
 この作品は、岩波ホールで上映中
     8/2(土)より梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、布施ラインシネマ、
         MOVIX堺、MOVIX京都、神戸国際松竹で上映


<神戸大空襲>
 神戸への初めての本格的な空襲は1945年の2月4日で、これはその後の東京空襲等を見据えた無差別じゅうたん爆撃のテストだった。その後128回の空爆があり、特に激しかった3月17日、5月11日、6月5日のものを神戸大空襲と呼ぶ。この物語に登場する6月5日は早朝から約3000トンの焼夷弾が投下され、神戸の50パーセント以上が灰になったという。
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journalist-net | 2008年08月01日(Fri) 06:44


 
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