太秦からの映画便り

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映写室 NO.159 「カメレオン」&「闇の子供たち」

映写室 NO.159 「カメレオン」&「闇の子供たち」      
 ―阪本順治監督の渾身の最新作2本―

 結婚詐欺等で稼ぐチンピラが、偶然国会の重要参考人の誘拐を目撃して、政界と繋がる闇の組織と戦う様を描いた「カメレオン」と、梁石日の原作を映像化したタイの幼児売春や生体の臓器売買等を描いた「闇の子供たち」と言う、阪本順治監督の新作が続きます。まるで違う話なのに、どちらも底流に本物感が流れる甲乙つけがたい力作。2本は製作時期もつながっていて、あまりにおぞましい現実を切り取った「闇の子供たち」を撮り終わり、心身ともに疲労困憊していたところに来た話が、痛快な活劇「カメレオン」だったと言う。苦しんだ余韻は力となって残っていたのだろう、テンポの良い活劇からも、しっかりと今の社会の病理が浮かび上がってくる。若手の台頭が著しい邦画界、中堅の阪本順治監督が経験に裏づけされた骨太の映画術で「これぞ映画!」の世界を築き、力の差を見せ付けます。この夏の見逃せない2本。

1.カメレオン

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(C) 2008『カメレオン』製作委員会

 <辻占いをしている圭子(水川あさみ)の前に>ぬっと手が出て、「老後が不安なんだよ」と言ったのは伍郎(藤原竜也)。「あっちはいけるの」と言うと階段の下に連れ込まれて股間を触らされる。今度は自分の胸元に彼の手を引き入れ、お互いに「まだ大丈夫」と言うのだった。結婚式で司会をしている伍郎、そこに乗り込む花婿への借金取り。花嫁の父親から破談を言い渡され、ご祝儀袋を手切れ金に貰って、地下の駐車場に詐欺仲間が集まり引き上げ様とした時、怪しい集団を見かける。

 <この作品は元々、約30年前に故松田優作を>主役に想定して書かれた脚本が元になっている。当時は、題材が金大中拉致事件を彷彿させて生々し過ぎると、没になったものだ。松田よりずっと小柄で華奢な藤原が演じた事で、伍郎の危うさが増した。この役がスーパーアウトローではなく、身近でもありアニメ的な架空性をも持ちと、振幅を広げている。
 横顔が繊細で美しく、幼い顔と裏腹のタフさや虚無感。まるで舞踏のようにしなやかで華麗なアクションが素晴らしく、爆発する怒りすら瞳に悲しみを滲ませて演じるのだから凄い。体の芯の冷たい炎も感じさせ、この男の抱えるものはとても今的なのだ。
 <つき返したいお金を>、ちょっと惚けて「馬鹿にすんな!…と言い切れないのが情けねえ」と最後は小声でぼやきながら、数枚は貰う貧乏臭さ。他のシーンでもお金の描写が丁寧にされリアルだった。詐欺と言っても弱者は騙さない。お金の余ってるところから少し貰って何とか暮らせればいいのに、トラブルに巻き込まれて暴れるシーンは、はみだし者の悲しみが漂う。

 <こんな怪しげな稼業をしながら>、この若さで「逆から読むと、ローゴ」と自嘲気味に言う様に、伍郎は今よりも生き延びた先に不安を持っている。ぱっと咲いてぱっと散るなんて、人生そんなに都合良くいかないものだと悟っているみたい。それを象徴するように、この物語には仲間の両親や、詐欺師仲間の芸人たちと、社会から弾き出されそうな老人が出てくるが、彼らを守るのは孫のような年齢の伍郎たち。大人の代表のような政治家は、警察組織まで巻き込み都合の悪いことを闇に葬る下劣さ。自分を守るのに必死で、若者にも老人にも目が届かない。

 <直前に撮った「闇の子供たち」で>、先進国の無神経さを描いた監督の刃が、今度は日本の今に向かった。若者に忍び寄る閉塞感と、そんな未来の見えない社会にしてしまった大人世代の不甲斐無さ。裏家業の主人公に漂う気品と優しさは、若者に託す監督の夢でもあるのだろう。
 ベテランの俳優陣が藤原の若さを際立たせるように、年を重ねた醜さや悲しさを好演して援護射撃しているのも見逃せない。娯楽活劇に忍ばせた監督の思いが、見終えた後でじんわりと染み出してくる力作です。

  この作品は、梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、
         MOVIX堺、MOVIX八尾、三宮シネフェニックス等全国で上映中


2.闇の子供たち

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(C) 2008「闇の子供たち」製作委員会

 <新聞社のバンコク支局員の南部(江口洋介)は>、東京本社から日本人の子供がタイに渡り、心臓移植手術をするらしいとの情報を得る。臓器密売の元仲介者にお金を渡して探り始めると、臓器の提供は生きたままの子供らしい。一方日本で福祉を学ぶ若い女性音羽(宮崎あおい)が、タイの福祉施設へボランティアスタッフとしてやって来る。所長たちと施設へ来なくなった子供の消息を尋ねると…。

 <タイの暗部を抉り出す衝撃的な作品だ> 貧しさのあまり子供を売る親たちと、子供を買って儲ける闇組織。エイズに罹ってゴミのように捨てられる少女や、売春斡旋所で鉄格子の中に押し込まれた子供たち、少年を漁る醜い大人たちと、ここに描かれているのは、あまりに軽い人の尊厳や命の話だ。生きている子供の心臓を(!)僅かなお金で売買したり、いたいけない子供を歪んだ性的欲望の対象にするなんて日本にいると信じられないけれど、映画化にあたって梁石日の原作を読んだ監督は、タイで取材を進めるうちに、衝撃的な内容は決してフィクションではなく、事実なのだと思い知らされたと言う。しかも加害者には白人と共に日本人も多いというのだから、辛くなる。同じ有色のアジア人に経済力で優位に立って、非人道的な振る舞いをとる醜さ。ラストの南部の行動で示されるように、この作品は決して他人事ではなく、回り回って私たちの驕りにも楔を打ち込む。

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(C) 2008「闇の子供たち」製作委員会

 <だけどそんな外国勢力だけでなく>、この作品は、最初の闇への入り口が利に敏い自国の悪なのも描く。昔何度かタイに行った。バンコクの騒々しさや日本人と見ると容赦なくたかって来るのが嫌で、すぐにチェンマイに飛び、又そこからチェンライに飛んでいたけれど、そんな田舎でさえ一人旅はいつも危険と背中合わせ。自然は素晴らしくても、うらびれた町角には油断したら引き込まれそうな闇社界の気配があった。
 この国でお金が手に入るか入らないかは、外国人の落とす金の匂いをかぎ分けられるしたたかさがあるかどうかだけ。決して自分で生み出すお金ではない。札束の魔力に負けて魂を売り渡すと、外国人との間に立って自国民をいいように振り回す。腐敗している。タイの純朴さを先進国の貨幣論理が汚していく様を肌で感じ、その発端が札束を振り回した日本人にあるのを感じて、何とも辛く何時しか行けなくなった。騙されても怒る事すら知らない、貧しい人々を思い出す。

 <以前同じテーマで映画を撮ろうとした>外国クルーが銃で襲われたこともあり、撮影は秘密裏に行われた。子供への虐待シーンの撮影を「日本の子供なら性的な虐待を受けるシーンと言っても、演技など解らないだろうが、この国の子供は自然に出来る。自分に経験が無くても見聞きして感覚的に解っていた」と言う監督も、映画のリアリティの為とはいえ、そんな演出を付ける残忍さに自身が追い詰められて、とうとう声が出なくなり緊急入院したのだとか。一番辛い思いでこの映画の残忍な世界を覗き見たのが、監督なのは間違いない。子供たちの大きな瞳が、静かに不条理を訴えかけてきます。(犬塚芳美)

 この作品は、8月2日(土)より、テアトル梅田/シネマート心斎橋
         8月9日(土)より、シネカノン神戸
         8月23日(土)より、京都シネマでロードショー


どちらも最後にどんでん返しが待っている。社会性と共に、油が乗って円熟期に入った阪本監督の、演出の凄さを思い知らされた2作品です。
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journalist-net | 2008年07月19日(Sat) 08:12


 
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