太秦からの映画便り

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映写室 シネマエッセイ 「12人の怒れる男」

映写室 「12人の怒れる男」シネマエッセイ     
  ―少年を裁く12人の陪審員の怒りの矛先― 

 1957年に作られて多くの賞を受賞したアメリカ映画「十二人の怒れる男」が、ニキータ・ミハルコフ監督の手で今のロシアを舞台にリメイクされた。本当言うと、ロシアの社会や政治を複雑に織り込んだ、この作品の全てを解るのは難しい。解ったつもりでも、解ったのは漠然とした雰囲気だけのこと。後で言葉に出来るほどには解っていない。…と書いて、映画的側面からだけの紹介のお断りにしよう。政治、宗教等の内情に通じた人なら、この作品からもっと多くの事が読み取れると思う。
 それでも、12人の俳優の圧倒的な存在感と、2時間半を超える心理劇が濃密さを貫き通したのには感動する。今だに充足感が消えないし、最後に到達するのが社会正義というまっとうな論理で、ロシア映画の底力を見せ付けられた思いも消えない。力不足でもやっぱり取り上げずにはおれない作品なのだ。

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 <物語はこうだ> チェチェンの少年がロシア軍将校だった義父を殺害した罪で、終身刑を求刑された。3日間の審議も終わり市民から選ばれた12人の陪審員が評決することに。結論はすぐに出そうだったが、1人がおずおずと有罪に同意できないと言い出す。再投票ではもう1人無罪を言い出すものが出る。こうして1人、又1人と自分を語りながら少年の有罪を翻し始めた。

 <監督は順撮りで、しかも途中のカットを入れず>全員に同時にそれぞれの演技をさせ、舞台のような緊張感を与えてこの作品を作り上げたと言う。舞台出身の俳優がほとんどだからこそ可能だった事だろう。前半は焦点が定まらず少しまどろっこしいが、それはそのまま、片手間だった12人の評決態度でもある。時間と共に誰もの顔が存在感を増し、観客の頭の中も整理できて物語が絡み始めた。 
 <日本でも来年から裁判員制度が導入されるが>、この映画を観ると怖気づく人もいると思う。特に重い罪についてこの制度が使われるというから、死刑制度のある日本では、この映画以上に裁判員が人の命を左右することになる。最初12人がそうだったように、思い込み、民族差別や偏見、利己主義、人の事にかまっておれない忙しさ、視点の不確かさやすぐに人に左右されながらそれに気が付かない愚かさ等々、凡人は人様どころか自分こそ裁かれるべき不都合を持っているもの。人の一生を左右するというのに、ころころと何度も真反対に主張を変える人間の姿も描かれている。そんな大衆に託される命とは何だろう。

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 <でも裁判員制度を導入する意図も>、この映画を見るとある意味で理解できる。人を裁くとは人と社会を真正面から見つめる事、翻って自分自身を見つめることだと、この映画が教えるからだ。少年の判決の為に誰もが自分のことを語り始める成り行きに、私たちはここまで自分を追い詰めて裁判員を務められるだろうかと、映画としての展開の上手さを超えて圧倒された。しかも自分を語り始めた時、人は内面を見せて人間的な顔になる。同じに見えていたロシア人の顔が、東洋人の私にも一人ずつ違って見え始めるのには驚く。

 <この作品は日本で舞台化等もされたように>、話が陪審員室から動かず、ともすれば変化の無い密室劇になる。単調になるところを、場所を体育館に代え、バスケットボールのゴールスタンド、停電等自然な成り行きで変化をつけるのも巧みだし、だだっ広い平和な空間映像に、モノクロで短く挿入されるチェチェンの戦闘シーンや、空を見つめる独房での少年の映像との対照が、この物語の奥行きを深める。まるでみんなの頭の中を映したようでもあり、遠い地の出来事をここで裁く不条理さ、知っているようで思い込みでしかないチェチェン問題の認識の遠さ等、複雑な背景を浮かび上がらせるのだ。

 <もっと巧みなのが、迷い込んだ1羽の小鳥だった> 出口が見つからずバタバタと天井を舞い、ガラス窓にぶつかる非力な小鳥は、まるで大きなロシア社会に閉じ込められたチェチェンの少年のようでもあり、誰もが頭上を見上げしばし現実に引き戻される。民族差別等は受けても、ここにいる12人は彼と違いともかく平和の中。あの小鳥を閉じ込めておくほうは無い、窓を開けて逃がしてやるのが当然だと、小鳥は物語と画面の両方をかき回す。
 <ところで12人は何に怒ったのだろう> もちろん最初は少年など関係なく、忙しいのに陪審員に選ばれたこと等自分の不運に怒っている。でも時間と共に怒りを社会や自分の内面に向け始め、問題はチェチェンの少年のおかれた社会の不条理であり、そんな社会を作った自分たちだと気付いていくのだ。裁判員制度が始まったとき、私たちの視点や怒りをそこまでもっていけるだろうか。否、そうでないとせっかくの制度が無駄になる。この制度導入の意図もそこにあると思いたい。

 <ロシアにとってのチェチェンとは>中国におけるチベットのようなもの。イスラム教国でイスラム文化を持つチェチェンは、ロシア連邦の中ではユダヤ人以上に異質だ。ソ連が解体する1990年ごろから現在まで激しい独立運動を繰り返し、99年から2000年の第2次紛争時にはチェチェン側に20万人もの民間人犠牲者が出たという。それでも独立を認めないロシアと諦めないチェチェン。ロシアで大きなテロがあるとたいていチェチェンが絡んでいる。溶け合えない両者の感情は私たちの理解を超えているのだろう。 
 <そんなチェチェンとの関係や今のロシアが抱える複雑な社会問題等を>、心理劇の背景に浮かび上がらせる。ここで不明なところはぜひご自分で観て感じ取って欲しい。他の映画2本分以上の濃厚な時間を過ごすことになるはずだ。(犬塚芳美)

 この作品は、関西では第七藝術劇場、シネマート心斎橋で上映中
       10月 シネ・リーブル神戸、京都シネマで上映予定
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コメント


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日本でも陪審員制度が始まると聞いたとき、「陪審員なんて自分には絶対に無理」「そんなのは専門家に任せた方が良いのでは」と思っていました。
でもその後「それでもボクはやっていない(2006東宝)」を見て、「陪審員制度も必要かも」と思ったりもしました。
そんなこともあって、コチラの映画にはとても興味を惹かれます。ロシアとチェチェンの情勢もある意味旬ですね。
(勝手ながら「太秦からの映画便り」を私のブログのリンクに乗せさせて頂きました。もしご迷惑ならお知らせ下さい)

ayako | URL | 2008年09月28日(Sun)22:29 [EDIT]


リンクを有難うございます

迷惑なんて・・・、嬉しいです。有難うございます。
私も(素人にどうしてそんなことをさせるんだろう)と思っていましたが、「それでもボクはやってない」もだけど、この制度導入の意味を本当に理解したのはこの作品を観てです。公平な広い視点を集めると共に、私たちに”自分と自分たちの社会を真摯に見つめさせる”のが大きな目的だと、今ならはっきり言えます。
でもそれって自分を追い詰めないといけないから辛い事。この制度が成功するかどうかは、国民にかかっているのだと思います。・・・とそんな事をしみじみと思わせる映画です。ぜひごらん下さいね。

犬塚 | URL | 2008年09月29日(Mon)07:11 [EDIT]


 

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映写室 シネマエッセイ「12人の怒れる男」:犬塚芳美

     ―少年を裁く12人の陪審員の怒りの矛先―  1957年に作られて多くの賞を受賞したアメリカ映画「十二人の怒れる男」が、ニキータ・ミ...
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journalist-net | 2008年09月17日(Wed) 07:42


 
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